日露戦争特別展2 開戦から日本海海戦まで激闘500日の記録
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明治38年(1905年)8月10日 ポーツマス会議開始

期間
明治38年(1905年)8月10日
場所 ポーツマス市(アメリカ合衆国ニューハンプシャー州)近郊、ポーツマス海軍工廠(ポーツマス市の対岸、メイン州キタリーのシーヴェイ島(ピスカタカ川の中州))
概要 明治38年(1905年)8月10日、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズヴェルトの仲介により、日露間の講和交渉がアメリカのポーツマス海軍工廠で開始されました。 小村寿太郎ヴィッテを日露両国の首席全権とするこの会議の結果、9月5日に日露講和条約が締結されました。
 
 
 
 

解説

ポーツマス会議開始
苦難の講和交渉
 仲介をつとめたアメリカ大統領ルーズヴェルトが指定したポーツマスにおいて、日露講和交渉が開始されました。交渉にあたり、日本政府は閣議で講和条件案を決定しました(1905年4月21日)(関連資料1)(全権委員への訓令案は関連資料2)。 そこでは ①韓国を日本の自由処分に委すこと ②日露両軍の満州撤兵 ③ロシアが清より得ている遼東半島租借権およびハルビン-旅順間の鉄道譲渡 の3点が「絶対的必要条件」として重視されています(
▲日露講和会議の行われた建物の全景
(外務省外交史料館所蔵)
連資料2、1画像目~)。主席として小村寿太郎外務大臣、全権委員として高平小五郎駐米大使が任命され交渉の場に臨み(関連資料3)、第一回本会議が8月10日に開催されました。

 すべての会議開催日程は次の通りです(関連資料4)。

   8月 9日 非正式予備会議
   8月10日 第1回本会議
   8月12日 第2回本会議
   8月14日 第3回本会議
   8月15日 第4回本会議
   8月16日 第5回本会議
   8月17日 第6回本会議
   8月18日 秘密会議,第7回本会議
   8月23日 秘密会議,第8回本会議
   8月26日 秘密会議,第9回本会議
   8月29日 秘密会議,第10回(最終)本会議
   9月 1日 非正式会見(当日2回開催)
   9月 2日 非正式会見(当日2回開催)
   9月 5日 講和条約調印

 第6回本会議までには日本側の求める講和の条件はほぼロシア側も認めるところとなっていましたが、 ①樺太(サハリン)割譲 ②賠償金の支払い ③ロシア艦艇の引渡し ④ロシアの極東における海軍力の制限 の4点をめぐって対立が続きました。特に①樺太の割譲と②賠償金の獲得は、日本の国内世論が強硬化していたこともあり日本側としては譲れない条件となっていました(当初は「比較的必要条件」という位置づけでした)。このため一時は交渉決裂も危惧されましたが、日本側は賠償金断念・樺太の割譲は南半分のみと譲歩し(第8回本会議)、講和成立を優先させました(関連資料4)。

 8月29日の第10回本会議で日露双方は講和条件に合意し、その後の非正式会見による調整を経て9月5日午後3時に日露講和条約の調印式が執り行われました。公布は10月16日、批准交換は11月25日に行われました(関連資料5)。

 なお、ポーツマス会議において首席全権として活躍した小村寿太郎は、講和条約締結直後に病に倒れます(参考資料6)。帰国した病み上がりの小村を待ち受けていたのは、都市部を中心に高まっていた講和反対運動でした(講和反対運動については「日比谷焼討事件」をご参照ください)。

 
 
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関連資料

ポーツマス会議開始
B04120029300 関連資料1 日露講和交渉における日本側条件
B04120029400 関連資料2 講和交渉にあたる全権委員への訓令書
A01200227100 関連資料3 小村寿太郎高平小五郎への全権委任状
C06041240100 関連資料4 日露講和会議
A03020652300 関連資料5 日露講和条約公布
B06150089200 関連資料6 小村寿太郎の発病

関連資料(詳細)

関連資料1
レファレンスコード : B04120029300
件名 : 128.日露講和条件予定ノ件(明治三十八年四月二十一日閣議決定)

■資料解説

 

 日露講和条約締結にむけての交渉において、日本側が重視した条件が示されています。2画像目から3画像目にかけて日露戦争の目的を次のように述べています。

      抑モ帝国カ安危存亡ヲ賭シテ露国ト干戈ヲ交
      フルニ至リタルハ其目的以テ満韓ノ保全ヲ維
      持シ極東永遠ノ平和ヲ確立スルニ在リ之レ帝
      国ノ自衛ヲ全フシ正当利権ヲ擁護スル為メ緊
      要欠クヘカラサルモノ
       (以下略、改行は原文による)

 

 ついで、この目的達成のために必要な条件を列挙しています。その条件は「絶対的必要」なものと「事情ノ許ス限リ努」めるものとに分けて示されています。

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関連資料2
レファレンスコード : B04120029400
件名 : 129.日露講和談判全権委員ニ対スル訓令案(明治三十八年六月三十日閣議決定)

■資料解説

 

 実際に交渉を担当する全権委員に対する指示案です。関連資料1で示された条件(追加分も含む)が「甲、絶対的必要条件」「乙、比較的必要条件」「丙、付加条件」の3つに分類されて改めて示されています。

 

 「甲、絶対的必要条件」として挙げられているのは

 ①韓国を日本の自由処分に委すこと
 ②日露両軍の満州撤兵
 ③遼東半島租借権とハルビン-旅順間の鉄道の譲渡

の3点、「乙、比較的必要条件」として挙げられているのは、

 ①軍費の賠償
 ②中立港に逃げ込んだロシア艦艇の引渡し
 ③樺太および付属諸島の割譲
 ④沿海州沿岸の漁業権獲得

の4点です。

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関連資料3
レファレンスコード : A01200227100
件名 : 日露講和条約締結ニ関スル全権御委任状ヲ御下付アラセラル

■資料解説

 

 日露講和条約を締結し、記名・調印する権限を小村寿太郎外務大臣、高平小五郎駐米大使に委任することを記した文書です。こうした締結交渉におけるあらゆる権限=全権を委任することを公式に証明する文書のことを全権委任状といいます。

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関連資料4
レファレンスコード : C06041240100
簿冊名 : 日露講和談判筆記附両国全権委員非正式会見要録 参謀本部副官管

■資料解説

 

 日露講和交渉における本会議、会見の記録です。この簿冊の中に会議・会見の記録が収録されています(外務省外交史料館>外務省記録>2門 条約>2類 講和条約、協定>1項 帝国諸外国間「日露講和条約締結一件/日露講和談判筆記 附両国全権委員非正式会見要録」(レファレンスコード:B06150093800にも同じ資料が収録されています)。

 

 なお、これらの文書の大部分は、『日本外交文書 第37巻第38巻別冊日露戦争V』の第6章「講和関係」第3節に活字化されて収録されています(日本外交文書は外務省「日本外交文書デジタルアーカイブ」で閲覧可能です)。

 

 第8回本会議の冒頭で、日本側は樺太(サハリン)を分割して北部をロシア領・南部を日本領とすること、樺太北部をロシアに還付するにあたり報酬金をロシアが負担するかたちで争点となっていた軍事費の支払い要求を撤回する譲歩案を提示しています(レファレンスコード:C06041241100)。 これは8月18日に秘密会議でヴィッテがもちかけた樺太分割領有案に応じるものでした(秘密会議の内容については日本外交文書に収録された電報で確認できます)。

 

 しかし、軍事費賠償をめぐって対立は続き、交渉は決裂の危機に瀕することになります。日本外交文書ではこの間の全権委員と本国とのやりとりを確認することができます。日本は苦しい選択を迫られていたことが桂太郎の打電からもわかります。

 

 第10回本会議(ref.C06041241300)において日本側は「一は人道と文明の為め一は日露両国真正の利益」に鑑み、樺太領有をロシアが承認することを条件に軍事費賠償要求を撤回する意志を明らかにしています。それは桂太郎から小村に宛てた電報訓令をうけてのものでした。 ロシア側は日本の樺太全島領有を認めなかったため、「人道の為め世界の平和を克服せむとするの極めて誠実なる希望を抱くか故に」と再度強調した上で樺太領有は南部のみ、軍事費賠償も放棄することに同意しました(3画像目)。

 こうした日本側の譲歩によって講和交渉は決裂することなく、講和条約締結に持ち込まれました。

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関連資料5
レファレンスコード : A03020652300
件名 : 御署名原本・明治三十八年・条約十月十六日・日露両国講和条約及追加約款

■資料解説

 

 日露講和条約公布書の原本です。2枚目左から12枚目右にかけて、日露講和条約の全文が書かれています。

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関連資料6
レファレンスコード : B06150089200
件名 : 小村全権委員病気

■資料解説

 

 小村寿太郎の病状について記された資料です。

 

 3画像目には、小村からグラント将軍に宛てた電報の中で“ Since last night I have been taken ill, absolute rest prescribed by my physian(原文ママ[=physician])”(昨夜から発病しており、医師に絶対安静を命じられている) とあるのが確認できます。この電報は9月10日付なので小村は9日には発病していたことがわかります。

 

 11画像目には、本国の桂太郎外務大臣にあてた電報(9月14日付)があります。そこには「発熱継続し腹部の苦痛去らさる」「腸窒扶斯(チフス)初期の徴候」といった文章が見られます。小村は病気のため予定されていた日程での帰国はかなわず「不得已(やむをえず)医師等の切なる勧告に従ひ一便延長し来月二日」にバンクーバー経由で帰国するつもりであると述べられています。

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参考文献   大江志乃夫『世界史としての日露戦争』、立風書房、2001年
外務省編『日本外交文書』(第37巻第38巻別冊日露戦争Ⅴ)、日本国際連合協会、1960年
山田朗『世界史の中の日露戦争』、吉川弘文館、2009年
デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー著、妹尾作太男・三谷庸雄共訳『日露戦争全史』、時事通信社、1978年
鹿島守之助『日露戦争』(鹿島平和研究所編、日本外交史 7)鹿島研究所出版会、1970年
講和条約大網決定,講和斡旋,講和勧告に戻ります 休戦議定書調印に進みます
 
 
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