アジ歴ニューズレター
アジ歴ニューズレター 第50号
2026年8月31日
特別寄稿
バンドン会議の精神とこれからの日本外交
センター長 井上 寿一
6月18日にインドネシア外務省情報・広報総局長スボロ大使ほか代表団が国立公文書館を訪問されました。私も同席させていただきました。当日はアジア・アフリカ会議博物館の館長もおみえになるとのことだったので、代表団の皆様とお会いできるのがとても楽しみでした。
それというのも、2012年にアジア・アフリカ会議博物館を訪れる機会があったからです。NHKのテレビ番組「さかのぼり日本史」の取材で、この年、生まれて初めてインドネシアを訪れて、ボゴール宮殿(1994年11月のAPEC首脳会議の会場)やアジア・アフリカ会議博物館などを回りました。現地で対応してくださったスタッフの方々はもちろん、行く先々でとても親切にしてくださいました。アジア・アフリカ会議博物館では、社会科見学の小学生に日本語で話しかけられてびっくりしました(当時は第2外国語として日本語を選択できたようです)。アジア・アフリカ会議(バンドン会議)のオフィシャル・ホテルに宿泊しました。ホテル内にはこの会議の写真が何枚も掲示されていました。インドネシアのみなさんはバンドン会議を誇りに思っていらっしゃるのだなと印象的でした。
あれから10数年以上を経て、当時の取材の際に撮影した写真をおみせしたところ、代表団の方々によろこんでいただけました。私も当時の記憶が蘇って、とてもうれしかったです。
バンドン会議とは、1955年4月にアジア・アフリカの29カ国が集まって開催された国際会議のことです。冷戦下、アメリカ陣営の側の日本が「非同盟・中立」を掲げるバンドン会議に出席した経緯は、アジア歴史資料センターの史料で確認することができます。日本が果たした役割は、当時もおそらくは今も小さかったと思われがちです。しかし実際にはバンドン会議の経済協力に関する宣言は、日本が主導したのです。経済協力を基軸として、アジア・アフリカがひとつになる。バンドン会議の理念は今も色あせることがありません。
ところが残念なことに、昨年はバンドン会議70周年だったにもかかわらず、注目されることが少なかったように思います。バンドン会議は戦後日本外交において、大きな分岐点になりました。『外交青書』の第1号に示された外交3原則のひとつ「アジアの一員」とは、バンドン会議への出席をとおして形成された自国認識だったと考えるからです。
以上のようなバンドン会議の精神を活かしながら、「自由で開かれたインド太平洋」構想が実現することを期待したいと思います。

