台湾原住民族 ~日本の調査にみるその文化~

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台湾原住民族について

現在、台湾に住んでいる人々は、ホーロー(福佬)・客家・原住民族・外省人(戦後中国国民党とともに台湾に渡ってきた人々)の4つに分類されると言われています。これらのうち、原住民族は、ホーロー・客家が台湾に移住してくる以前から台湾に住んでいる、オーストロネシア語族(南島語族)に属する諸民族の総称です。総人口の約2%を占めています。なお、漢語の「先」という言葉に「既になくなってしまった」という意味が含まれるため、台湾では「先住民」と呼ばれることはありません。

さて、上で述べたように、現在の台湾では、ごく普通に原住民族という言葉が使用されていますが、そこにいたるまでには長い道のりが必要でした。戦前は台湾を統治していた日本、戦後は台湾政府が、いずれも原住民族に対して同化政策を行いましたが、1980年代、台湾で民主化運動が高まりをみせる中、1983年、原住民族の権利獲得を求める運動が始まりました。そして、紆余曲折を経て、1997年、憲法に「国家は多元文化を肯定し、積極的に原住民族の言語文化を護り発展させる」という文言が盛り込まれました。さらに同年には「姓名条例」も改訂され、「台湾原住民の姓名の登記は、その文化・慣習に依って行なう。すでに漢族名を登記している者は、その伝統姓名の回復を申請することができる」と明記されました。

また、1996年12月には、行政院(日本の内閣に相当)に原住民族に関する政策を専門的に扱う行政院原住民族委員会が設置されました。このような経緯を経て、原住民族の権利は徐々に回復されていきました。

そして、現在の台湾では原住民族の言語・文化などの復興が盛んに行なわれるようになり、社会でも原住民が堂々とそう名乗れるような状況になってきています。

日本の調査に残る原住民族の習慣・風俗

日本は、その植民地統治を行なっていた時代、原住民族の習慣・風俗の調査を丁寧に行なっていました。それらの報告書の一部をアジ歴でも見ることができます。もちろん、明治28年(1895年)に領有した台湾に関しても様々な調査を行いました。それらは、もとよりその統治を円滑に行なうためになされたものもありますが、高度な学術的成果も含まれています。そして、その中にある台湾原住民族に関する調査報告書は、現在の文化復興の動きの中でも、古い習慣を記録した資料として重宝されていますので、その一部をご紹介します。

台湾原住民族を構成する民族

原住民族は、言語や文化の異なる複数の民族から構成されており、現在、行政院原住民族委員会によって、次の14民族が認定されています。

  • (1) 原住民族分布図

    (1) 原住民族分布図

アミ・アミス Amis(阿美族)
パイワン Paiwan(排湾族)
タイヤル Atyal(泰雅族)
ブヌン Bunun(布農族)
ピヌユマヤン Pinuyumayan(卑南族)
ルカイ Rukai (魯凱族)
ツォウ Tsou(卲族)
サイシャット Saisiyat(賽夏族)
ヤミ Yami(雅美族)
クバラン Kavalan(噶瑪蘭族)
タロコ Turuku(太魯閣族)
サオ Thao(邵族)
サキザヤ Sakizaya(撒奇萊雅族)
セデック Seediq(賽德克族)

(1)は、これらの民族の分布図です。

しかし、これは当初から明確になっていたものではありませんでした。時とともに、分類は揺れ動き、民族によってはその呼称すら変化するような状態にありました。これら民族の分類がそのあり方に従って明確になってくるのは近年のことで、以前は、日本統治時代に行われた調査に基づいて呼称や分類が規定されていました。上記14民族のうち、アミスからヤミまでが、日本統治時代に原住民族として分類されていた9民族です。他の5民族は、他の民族の亜族とされていたものや、漢民族と同化の度合いの高い平埔族の一民族とされていたものが、近年、原住民族の一民族として認定されたものです。

こういった分類の基礎を形作った、日本統治時代における原住民族に関する代表的な調査報告書は、以下のようなものがあります。

  1. (1) 伊能嘉矩・粟野伝之丞『台湾蕃人事情』 (台湾総督府民政部文書課、1900年)
  2. (2) 佐山融吉『番族調査報告書』 (全8冊、臨時台湾旧慣調査会第一部、台湾総督府蕃族調査会、1913-1921年)
  3. (3) 『番族慣習調査報告書』 (全6冊、臨時台湾旧慣調査会第一部、台湾総督府蕃族調査会、1915-1922年)
  4. (4) 台北帝国大学土俗人種学研究室『台湾高砂族系統所属の研究』 (刀江書院、1935年)
  5. (5) 台北帝国大学言語学研究室『原語による台湾高砂族伝説集』 (刀江書院、1935年)

ピヌユマヤン(Pinuyumayan)とは

  • (2) 『台湾高砂族系統所属の研究』

    (2) 『台湾高砂族系統所属の研究』

上の報告書のうち、アジ歴で閲覧できるのは、(1)の『台湾蕃人事情』の7冊目にあたる『大么族後篇』(レファレンスコード:A06032548600)、(4)の『台湾高砂族系統所属の研究』(レファレンスコード:A06032549000)、(5)の『原語による台湾高砂族伝説集』(レファレンスコード:A06032548800)の3冊です。それぞれ大変興味深い報告書ですが、今回は特に、(4)(5)のうちピヌユマヤン(Pinuyumayan)に関する記述をご紹介します。

このピヌユマヤンという呼称は、台湾原住民族のことをご存じの方でもあまり見かけたことがないかも知れません。この民族は、一般的にはプユマ(Puyuma)と呼ばれることが多いのです。これは、日本時代の調査に起源を発すると言われます。

その一端を(4)の記述の中から読み取ることができます。ここには、この民族は「通常八社蕃、卑南蕃或はプユマ族の名によって知られる」、「『八社蕃』とは・・・単に蕃社の数に基づく名称に過ぎず『卑南蕃』または『プユマ族』はその一蕃社なる卑南社(Puyuma)の名のみを想起せしめる。卑南社は彼等の間で最も勢力ある蕃社であるが、特に代表的なものではなく・・・これも好ましい名称ではない。・・・彼等共通の発祥地とせらるるPanapanayanの名に因んで「パナパナヤン族と呼ぶのが適当と思ふ」とあります (2)

この記述からは、プユマという呼称がある一社の名称から採られた可能性を見ることができます。なお、(1)には、「プユマ族」と明確に書かれています。

ピヌユマヤンの出生伝説

  • (3) 『台湾高砂族系統所属の研究』

    (3) 『台湾高砂族系統所属の研究』

  • (4) 『台湾高砂族系統所属の研究』

    (4) 『台湾高砂族系統所属の研究』

  • (5) 『原語による台湾高砂族伝説集』

    (5) 『原語による台湾高砂族伝説集』

さて、ピヌユマヤンは石から生まれたか、竹から生まれたかというその出生伝説に基づいて、石生地(Ruvahan)- Tipol(知本社)、竹生地(Panapanayan)- Puyuma(卑南社)という2つの亜族に分かれます。

(4)には、これら2種類の出生伝説も記されています。

「知本社口碑によれば『太古Ruvohanの海岸に潮の泡があり、それから塵芥の如きものを生じ、更にこれが石となり、石が割れて人間の形をしたものが出てきた』」 (3)

「卑南社の由来については次の口碑が伝えられてゐる。『太古Nunurと云ふ女神が海から出てきて、arunoと云ふ茅草を折つて枝とし、それをPanapanayan(Ruvoa-an)の海岸にさした。arunoを逆にさしたので上の方に根が生え、竹が自然に割れて上の節からPakmalaiと云ふ男、下の節からPagumuserと云ふ女生る」 (4)

これら2つの伝説に出てくるRuvohanとPanapanayanは、実は現在の台湾台東美和村にある同じ土地のことなのです。TipolとPuyumaでそれぞれ、Ruvohan、Panapanayanと呼んでいるのです。そして、他の社はこれら2つの社から分かれたとされています。

(5)には、出生伝説のうち、竹から生まれたという竹生伝説が紹介されています。

「4.卑南社 昔我等の此の土地には、阿眉が先に出来た。あるとき彼等は[竹の]杖を[土地に]突刺したが、この竹は段々大きくなつて、我等卑南人が出来たさうだ」 (5)

以下、伝承の内容は続きますが、出生にかわわる部分は以上です。しかし、この資料の興味深い点は、「原語による」と銘打たれているとおり、各民族の言語によってそれぞれの神話・伝承が記されているところです。台湾原住民族は文字を持たない人々ですので、発音記号を用いて記述されています。単語が一ずつ「/」で区切られ、一語一語に日本語訳があてられています。既に70年以上昔の調査ですので、今はもう使われていない単語などもあるかも知れませんが、原住民族達が話す言語の一端に触れることができるとても貴重な資料です。

ピヌユマヤンPinuyumayanに関すること以外に、(4)は他の民族についても各社毎に詳細な記述がなされていますし、(5)で各民族の言語にふれることもできますので、是非、ご覧下さい。

<参考文献>