日露戦争特別展2 開戦から日本海海戦まで激闘500日の記録
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明治37年(1904年)8月10日  黄海海戦

明治37年(1904年)8月14日 蔚山沖海戦

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期間
明治37年(1904年)8月10、14日
場所 黄海、蔚山沖
概要 黄海海戦蔚山沖海戦において、日本の連合艦隊はロシア艦隊に大打撃を与えます。その結果、日本は日本海と黄海における制海権をほぼ手中にしました。
 
 
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戦闘チャート

黄海海戦
8月7日 陸軍第三軍が旅順要塞の前面に広がるロシア軍陣地を砲撃。(関連資料1
8月7日 陸軍第三軍に呼応して海軍陸戦重砲隊が旅順市街、港湾を砲撃。(関連資料2
8月10日
旅順のロシア艦隊がウラジオストックに向け出港。
8月10日
8:50
報告を受けた東郷司令長官が全戦隊を配備につかせる。
関連資料3
8月10日
12:09
連合艦隊主力が所定の配備につく。間もなくロシア艦隊を発見。
8月10日
13:15
連合艦隊が砲撃を開始。
8月10日
15:20
ロシア艦隊との距離が開き、砲撃を中止。
8月10日
17:30
ロシア艦隊に追いついた連合艦隊が、再び砲撃を開始。
8月10日
18:40
旗艦「ツエザレウィチ」が被弾して舵を損傷。ロシア艦隊が混乱に陥る。
8月10日
20:00
東郷長官は砲撃戦を終了し、駆逐艦による夜襲を命じる。(関連資料4
 
【 参考文献 】 「極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻6」
 
 
 
 

戦闘チャート

蔚山沖海戦
8月12日
6:00頃
ウラジオストックのロシア艦隊が旅順方面に向け出港。
8月14日
5:00
上村中将率いる第2艦隊が、蔚山沖で南下するロシア艦隊を発見。
8月14日
5:23
第2艦隊が砲撃を開始。
8月14日
8:22
損害を受けたロシア艦隊が北方に逃走。第2艦隊は追撃開始。
8月14日
10:00
追撃していた第2艦隊の砲弾が欠乏し、上村中将は戦闘中止を命じる。(関連資料4
 
【 参考文献 】 「極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻11」
 
 
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解説

黄海海戦
蔚山沖海戦
日露海軍、激突

 連合艦隊は、開戦以来、旅順口に対して8回の攻撃と3回にわたる閉塞作戦を実行しましたが、ロシアの旅順艦隊(第一太平洋艦隊主力)は依然として旅順港に戦力を保持していました。 日本側は、バルチック艦隊が東航し旅順艦隊と合流することを恐れて、旅順要塞の壊滅を急ぐようになります。 その結果、乃木希典を司令官とする第三軍が編成され、陸海軍共同で旅順要塞を攻め落とす計画が進められました。7月末には第三軍は旅順要塞に進軍し、8月7日より要塞の前面に広がる大狐山と小狐山に砲撃を開始しました(関連資料1)。 これに呼応するように、同日、海軍陸戦重砲隊からも旅順市街への間接射撃が開始されました。9日には、ロシア軍艦レトウイザンに砲弾を命中させ、さらに約3000トンクラスの商船を撃沈させました(関連資料2)。

 翌10日の朝、ついにウィトゲフト少将率いる旅順艦隊は、大挙してウラジオストックへ向けて旅順港を脱出しようとします。旅順艦隊出港の報告を受けた東郷平八郎は速やかに全戦隊を各配備につかせました(関連資料3)。正午頃、第一戦隊は黄海沖の遇岩の南方において西南西に向かいましたが、旅順艦隊はすでに遇岩の西北西約10浬まで進んでいました。なるべく敵艦隊を外洋に誘致させようとする第一戦隊に対し、旅順艦隊は南東に向かって逃れようとしました。しかし、両者の間は徐々に縮まっていきます。午後1時15分、日本側より遠距離射撃を開始し、ロシア側もこれに応戦しました。第一次合戦の始まりです。

 しかし、旅順艦隊は戦闘を避け、南東に逃走を続けました。約2時間の追跡の末、ついに第一戦隊は山東角の北東約45浬において旅順艦隊に追いつき、午後5時半、再び攻撃を開始しました(第二合戦)。激戦が展開される中、午後6時40分頃、第一戦隊の砲撃を被弾した旗艦ツエザレウィチは舵のコントロールを失い味方の艦列に突入したた
▲黄海海戦 (財団法人三笠保存会所蔵)
▲旅順沖海戦 (財団法人三笠保存会所蔵)
め、旅順艦隊は混乱に陥りました。連合艦隊は旅順艦隊を包囲しつつ攻撃を続けましたが、日没後、一旦戦闘を終了し、駆逐艦による夜襲に切り替えました。これにより旅順艦隊は四散して、戦艦5隻と巡洋艦1隻は旅順に引返し、その他は各々膠州湾、芝罘、山東角、上海、サイゴンなどに逃れました(関連資料4)。

▲「蔚山沖海戦当時の水雷艇七十四号全員(明治三十七年八月十四日)」 (財団法人三笠保存会所蔵)
▲装甲巡洋艦出雲 (財団法人三笠保存会所蔵)
▲連合艦隊第二艦隊司令長官上村彦之丞中将 (財団法人三笠保存会所蔵)

 一方、黄海海戦の報告を受けた上村彦之丞中将率いる第二艦隊は、旅順よりウラジオストックに逃走する旅順艦隊の監視とウラジオストック艦隊の南下に備え、警戒を強めていました。 14日午前5時、出雲、吾妻、常磐、磐手から成る第二艦隊第二戦隊は、蔚山沖においてウラジオストック艦隊の軍艦ロシーヤ、クロモボイ、リューリクを発見しました。第二戦隊は、ただちに砲撃を開始し、ウラジオストック艦隊もこれに応戦しました。蔚山沖海戦の始まりです。

 交戦開始後まもなく、リューリクは艦列から遅れて日本側の集中砲火を浴びました。これに対し、ロシーヤとクロモボイは三度にわたり援護を試みますが、リューリクの火災は激しく救済困難となりました。また、ロシーヤの損害も大きかったため、午前8時22分にこの2隻はリューリクを残して、北方に向かって逃走しました。第二戦隊は2隻を追撃しましたが、午前10時、上村司令長官は旗艦出雲の砲弾欠乏の報に接し、蔚山沖海戦は幕を閉じました(関連資料5)。

 
 
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関連資料

黄海海戦
蔚山沖海戦
関連資料1 陸軍第三軍の編成と進軍
関連資料2 海軍陸戦重砲隊の編成と攻撃
関連資料3 連合艦隊司令長官海軍大将東郷平八郎による黄海海戦の戦闘詳報
関連資料4 黄海海戦における戦闘の展開
関連資料5 上村彦之丞第二艦隊司令長官による蔚山沖海戦の戦闘詳報

関連資料(詳細)

関連資料1
レファレンスコード : C05110061500
件名 : 第3編 陸軍との共同作戦/第9章 旅順口攻囲経過の大要

■資料解説

 

 『極秘 明治37.8年海戦史』の第一部 戦紀巻9に収録されている資料です。1~5画像目には、第三軍の編成及び任務について記述されており、そのうち2画像目には、第三軍の編成の経緯が次のように示されています。

露国は愈々増援艦隊の編成を発表し、将に七月初旬を期して本国を出発せんとすとの情報ありしを以て、大本営に於ては速に旅順口を攻陥して敵艦隊を討滅するの切要を認むるに至り、五月二十九日を以て第三軍の戦闘序列を令せられ、陸軍中将男爵乃木希典か軍司令官に補せられ、(軍司令部の編成は五月八日完結せり)専ら旅順陸上の敵に対して作動することゝなれり

 

 5~8画像目には、6月初めから8月中旬に至るまでの第三軍の進軍の様子が詳述されています。そのうち7画像目には、8月7日から9日までの三日間に及ぶ第十一師団による大狐山と小狐山への攻撃、占領に至る経緯が示されています。

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関連資料2
レファレンスコード : C05110061600
件名 : 第3編 陸軍との共同作戦/第10章 海軍陸戦重砲隊及ひ其の他の陸上動作

■資料解説

 

 『極秘 明治37.8年海戦史』の第一部 戦紀巻9に収録されている資料です。1~4画像目には、海軍陸戦重砲隊の編成及び任務について記述されています。これによれば、乃木第三軍司令官が要塞攻撃の際には、射程距離の長い海軍砲が有利なことから海軍に援軍を要請しますが、これに伴い編成されたのが海軍陸戦重砲隊でした。10~11画像目には、海軍陸戦重砲隊が8月7日より18日夕方に至るまで旅順の新旧両市街及び港内軍艦等に対し砲撃を行った様子について記述されています。

 

 この砲撃によるレトウイザンの被害が大きかったため、ロシア海軍内で、初めて艦隊の旅順脱出の議論が起こりました。これ以上、艦隊が旅順に碇泊するのは不可能であるという意見と、その被害の大きさのためにレトウイザンが艦隊と行動を共にするのは不可能であるという意見に分かれましたが、結局、ウィトゲフト少将は艦隊を挙げて出港することにしました。(外山三郎『日露海戦史の研究―戦記的考察を中心として』pp.601~606)

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関連資料3
レファレンスコード : C05110042300
件名 : 備考文書

■資料解説

 

 『極秘 明治37.8年海戦史』の第一部 戦紀巻6に付録される備考文書のうち、7~15画像目は、連合艦隊司令長官東郷の提出した黄海海戦の戦闘詳報です。

 

 8~9画像目は、この海戦中に東郷平八郎から各戦隊に発せられた主な無線電信命令訓令の一覧です。

 

 また8画像目には、日露両艦隊の構成が示されています。これによれば、両軍の兵力は以下の表のようになります。

日本軍 第一戦隊 : 三笠、朝日、敷島、富士、春日、日進
第三戦隊 : 八雲、浅間、千歳、笠置、高砂
第五戦隊 : 松島、鎮遠、橋立、八重山
第六戦隊 : 明石、須磨、秋津洲、和泉
第一駆逐隊 : 白雲、朝潮、霞
第二駆逐隊 : 雷、電、朧
第三駆逐隊 : 漣、東雲、薄雲
第四駆逐隊 : 速鳥、朝霧、春雨、村雨
第五駆逐隊 : 陽炎、不知火、叢雲、夕霧
第一艇隊 : 67、68、69、70号
第二艇隊 : 37、38、45号
第六艇隊 : 56、57、58、59号
第十艇隊 : 40、41、42、43号
第十四艇隊 : 千鳥、鵠、隼
第十六艇隊 : 白鷹、39、66、71号
第二十艇隊 : 62、63、64、65号
第二十一艇隊 : 44、47、49号
ロシア軍 ツェザレウイチ、レトウイザン、ポベーダ、ペレスウエート、セワストーポリ、ポルターワ、アスコリド、ヂィヤーナ、パルラーダ、駆逐艦8隻、病院船1隻
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関連資料4
レファレンスコード : C05110042200
件名 : 第2編 旅順口及ひ仁川の敵艦隊に対する作戦/第14章 黄海海戦

■資料解説

 

 『極秘 明治37.8年海戦史』の第一部 戦紀巻6です。黄海海戦における各戦隊別の戦況が詳述されています。1~6画像目は戦闘概要、6~46画像目は各隊における戦況、46~54画像目は戦闘後の各戦隊における索敵行動、54~81画像目は各港に逃げ込んだロシアの各軍艦の顛末について記述されています。

 

 なお、連合艦隊側の各軍艦の兵器消費数や死傷者人名に関する詳細な情報は、「極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻6付表及付図」(レファレンスコード:C05110042400)に収録されています。

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関連資料5
レファレンスコード : C05110072900
件名 : 備考文書

■資料解説

 

 『極秘 明治37.8年海戦史』の第一部 戦紀巻11に付録される備考文書のうち、26~34画像目は、上村第二艦隊司令長官の提出した蔚山沖海戦の戦闘詳報です。

 

 26~28画像目は、蔚山沖海戦に至るまでの各隊の行動と配備について、28~32画像目は戦闘の状況について、32~34画像目は戦闘の結果について記されています。

 

 33画像目に蔚山沖海戦中における船体及び兵器の主な損害について示されていますが、死傷者、兵器の消耗などに関する詳細は「極秘 明治37.8年海戦史 第1部 戦紀 巻10.11付表及付図」(C05110073000)で見ることが出来ます。

 

 また、31画像目に、「十一時五分千早ノ信号ニ依リ「リューリク」ノ沈没セルヲ知リ尋テ第四戦隊諸艦ノ露兵救助ニ忙シキヲ見タリ」とあり、33画像目には救助された露兵の員数が示されています。

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参考文献   大江志乃夫『世界史としての日露戦争』、立風書房、2001年
外山三郎『日露海戦史の研究 ―戦記的考察を中心として』、教育出版センター、1985年
平塚柾緒『新装版 図説 日露戦争』、河出書房新社、2004年
陸上の戦いに戻ります
 
 
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第3次旅順口閉塞作戦に戻ります 日本海海戦(1)に進みます