3.日本の国際社会への復帰とアジア諸国

 戦後の日本は、昭和31(1956)年の国際連合(国連)への加盟に先立ち、アジア諸国との多国間協調の枠組みに積極的に参加し、国際社会への復帰を目指しました。

 昭和27(1952)年、日本はECAFE(国連アジア極東経済委員会)の準加盟が認められ、昭和29(1954)年には正式に加盟国となりました。国連加盟に先立ってECAFE加盟が認められたことは、敗戦で打ちひしがれた日本が国際社会に受け入れられたという意味で、非常に意義深いことだったと評価されています。

 同じ昭和29(1954)年には「コロンボ・プラン」に加盟し、アジア諸国への技術協力を開始しました。これは後の日本の政府開発援助(ODA)の源流の一つとなります。

 昭和30(1955)年に開かれたバンドン会議(アジア・アフリカ会議)は、日本にとって、戦後はじめて参加することになった国際会議でした。

 昭和31(1956)年には、10月の日ソ国交正常化を経て、12月に国連安全保障理事会が日本の国連への加盟について勧告し、同月に国連総会が全会一致で日本の加盟を承認しました。日本は80番目の国連加盟国となり、国際社会に本格的に復帰することになります。その際に行われた重光葵外務大臣による国連総会での演説では、日本とアジアは不可分の運命下にあることについても言及がなされました。



◆ECAFE総会とガイドブック

【資料23】件名「(18)案内書関係/分割1」B22010234800(32、46、56画像目)


 昭和29(1954)年、日本はECAFEの正式加盟国となりました。翌昭和30(1955)年春には東京・大手町のサンケイ会館で、第11回総会・第7回産業貿易委員会が開催されました。【資料23】は、外務省編集による、ECAFE参加代表向けに送付されたガイドブック(32~68画像目)。日本国内での旅行や食事、買い物の案内なども記載されています。

 ECAFE(国連アジア極東経済委員会)は、昭和22(1947)年に設置された、国連の経済社会理事会の下部組織(昭和49(1974年)にESCAPと改称)。アジア・太平洋地域の経済・社会の発展を目指し、アジア開発銀行(ADB)設立やアジアハイウェイ建設などに関わりました。



◆コロンボ・プラン十周年パンフレット

【資料24】件名「(9)一般/コロンボ計画物語 その10年の歩み 1951-1961」B22010372900(1、2、7、11画像目)


 コロンボ・プラン(「アジア及び太平洋の共同的経済社会開発のためのコロンボ・プラン」)は、アジア及び太平洋地域諸国の経済社会開発を促進することを目的として昭和25(1950)年1月に発足した地域協力機関。日本は昭和29(1954)年に加盟を閣議決定しました。【資料24】は、昭和36(1961)年、コロンボ・プラン10周年の機会に作られたパンフレット。日本の技術協力についての写真なども紹介されています。



◆バンドン会議への参加

【資料25】件名「(題名なし)」B22010343300(105、110、112画像目)


【資料26】件名「11 AA会議資料」B22010348500(10~13画像目)


 昭和30(1955)年、インドネシアのバンドンで、第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国の代表が集まる国際会議が開かれ、平和共存を訴える平和十原則が採択されました。会議には日本も招請されて、高碕達之助経済企画庁長官が代表として出席。経済協力や文化交流などの面で積極的な提案を行いました。

 【資料25】は、会議中にインドネシアの外務省が刊行していた速報「Asian-African Conference Bulletin」の第4号(昭和30(1955)年4月19日発行。105~115画像目)。開会式の議場の写真などが見られます。前後には他の号(2~8号、10号)も綴じられています。

 【資料26】は、会議での高碕代表の一般演説です。「アジアに国を成し、アジアとともに生くべきわが日本としては、特に重大なる関心を寄せる次第」などと述べられています。会議終了後に作られた資料に収録されています。



◆バンドン会議での周恩来との会談

【資料27】件名「三、昭和三十年/(題名なし)」B20010004000(17画像目)


 バンドン会議で高碕達之助経済企画庁長官は、中華人民共和国の周恩来首相と接触し、会談を実施しました。同国との間で初めて行われた閣僚級の会談でした。【資料27】はその記録で、冒頭のページには「窓その他外部より観望し得ぬようシャットして極秘裏に会談を行う」とあります。

 特別な取り決めが行われた会談ではありませんが、高碕達之助と会談に同席していた廖承志との間で昭和37(1962)年にLT覚書が取り交されるなど、以後の同国との関係の出発点となりました。



◆国際連合加盟と重光外務大臣の演説

【資料28】「5.国連加盟問題 昭和三十一年十二月~同三十二年二月/(2)国連第十一回総会における日本の加盟決議」B20010167800(17、22画像目)



 昭和31(1956)年12月、国際連合の総会で、日本の加盟決議が全会一致で採択されました。重光葵外務大臣は演説で、日本とアジア諸国とは不可分の運命下にあること、アジア諸国の向上発展への期待、日本はある意味において東西のかけ橋になり得ることについても、述べました。【資料28】は演説内容を伝える電報(17~22画像目)の冒頭と末尾部分。


(参考:重光葵(国会図書館「近代日本人の肖像」より))