3.戦局の転換とアジア

緒戦で勝利を重ねた日本軍でしたが、1942年6月にはミッドウェー海戦で敗北。1943年2月にはガダルカナル島を撤退し、戦線の後退を余儀なくされます。日本は連合国軍の反転攻勢に対して戦略の見直しを進め、「大東亜政略指導大綱」を決定します。占領地のうちフィリピンとビルマの独立を認め、10月には大東亜会議を開催してアジア各国の戦争協力を求めました。



【資料28】対中国政策の転換

「其1 参考資料 内閣準備書類/7、大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針 昭和17年12月21日」(Ref. C12120194300)1~4画像目


1942年12月21日、御前会議で新たな対中国政策「大東亜戦争完遂ノ為ノ対支処理根本方針」が決定されました。南京国民政府(汪兆銘政権)の自発性と自由を容認し、治外法権撤廃などの主権回復措置を取ろうとするものでした。



【資料29】ビルマの独立方針

「3.ビルマ独立指導要綱ニ関スル若干ノ考察(外務省政務局第五課)」(Ref. B02032943900)2画像目


1943年3月10日、ビルマ独立に向けて「緬甸独立指導要綱」(Ref. C14060855000)が決定されました。この資料はそれに対する外務省政務局の考察で、2月24日の日付が入っています。日本によるビルマの「実質的把握」は戦時の暫定的措置としてやむを得ないという印象を与えるべきである、元首バー・モウは「骨のある人物で唯々諾々と服従する人物ではないことに留意」すべきである、といった記述があります。

開戦以前、フィリピンはアメリカからの独立、ビルマはイギリスの自治領化が予定されていました。



【資料30・31】バー・モウの来日

「写真週報 265号」(Ref. A06031086000)1画像目、「写真週報 266号」(Ref. A06031086100)4画像目


1943年3月、ビルマのバー・モウ長官が来日し、ビルマ独立について協議しました。『写真週報』3月31号は表紙で、4月7日号では誌面でこれを報じています。



【資料32】大東亜政略指導大綱

「昭和18年5月31日 大東亜政略指導大綱」(Ref. C12120280400)1~4画像目


1943年5月31日、御前会議で「大東亜政略指導大綱」が決定され、「帝国を中心とした大東亜の諸国家諸民族結集の政略体制」を整備・強化する方針が示されました。

汪兆銘政権と同盟条約の締結を目指し、ビルマおよびフィリピンは独立、マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土とすることなどが書かれています(インドネシアはのちの1944年9月、小磯國昭首相により将来の独立容認が言明)。



【資料33】フィリピンの状況

「其3 質疑応答参考資料 総長参考用/16、比島一般情勢」(Ref. C12120195400)1~2画像目


「大東亜政略指導大綱」を決定した5月31日御前会議の際の、陸軍参謀総長の質疑応答参考資料で、フィリピン情勢がまとめられたもの。「敵匪」の抵抗(フィリピンではゲリラの抵抗が続いていた)、「底流に於ては尚対日観念良好ならず今尚米の勝利を信ずるものあり」などの記述があります。

フィリピンの独立に関しては、6月26日「比島独立指導要綱」(Ref. C12120219900)が決定されました。



【資料34・35】ビルマとフィリピンの独立宣言の報道

「写真週報 286号」(Ref. A06031088100)2~3画像目

「写真週報 295号」(Ref. A06031089000)1、3画像目


ビルマでは8月1日にバー・モウを元首として独立が宣言されました。『写真週報』は「ビルマ国敵前独立の日」と題してこれを報じました(1943年8月25日号)。

フィリピンで独立が宣言されたのは10月14日。『写真週報』10月27日号の表紙はラウレル大統領で、「輝かしフィリピン独立の日」と題した記事が掲載されています。



【資料36・37】ボースと自由インド仮政府

「写真週報 297号」(Ref. A06031089200)4画像目、「写真週報 298号」(Ref. A06031089300)1画像目


1943年10月21日、日本軍政下のシンガポールで、インドの独立運動家スバス・チャンドラ・ボースのもと、自由インド仮政府の樹立が宣言されました。『写真週報』では1943年11月10日号でこれを取り上げるとともに、11月17日号はボースの肖像が表紙に掲載されました。



【資料38】『写真週報』が報じた大東亜会議

「写真週報 298号」(Ref. A06031089300)2~5画像目


1943年11月5~6日、東京にアジア各国の首脳を集めて「大東亜会議」を開催、11月7日には日比谷公園で「大東亜結集国民大会」が開かれました。その様子は『写真週報』でも報じられています。同じ号で汪兆銘政権との日華同盟条約調印も取り上げられました(7画像目)。



【資料39】大東亜会議関連資料

「3.調書/3」(Ref. B02032958100)34~35画像目


外交史料館所蔵の簿冊「大東亜戦争関係一件/大東亜会議関係」( B02032955600)には、各国の演説内容をはじめ、同会議関係のさまざまな資料が収められています。「3.調書/3」「3.調書/4」( B02032958100B02032958200)からは、各参加国との事前交渉や、会議に対する各国・地域の記事・論調などをうかがうこともできます。

上の画像では、タイのピブーン首相が健康上の問題を理由にして出席しなかったことについて、在タイ日本大使が真の理由を推測している記述があります。