昭和11年(1936年)に正式に発足した内閣情報委員会は、昭和12年(1937年)9月24日、内閣情報部に改組されました。内閣情報部は、この改組により従来の内閣情報委員会が担っていた各庁情報事務の「連絡調整」に加え、「各庁ニ属セザル情報蒐集、報道及啓発宣伝ノ実施」を担当することとなりました。

 こうして発足した内閣情報部は、その活動の一環として、昭和12年(1937年)10月20日「官庁及び民間団体に於て撮影、供給する記録及情報写真に依る対内外宣伝実施の官民合同の中枢機関」という目的で、「写真宣伝に関する政府の代行機関」として「情報写真協会説立案」を検討しました。そしてこの設立案具体化の第一段として、昭和13年(1938年)2月16日、『写真週報』創刊号が内閣情報部により発行されました。

 『写真週報』は、「写真による啓発宣伝のきわめて強力なるを想い」(創刊号「創刊の言葉」)、「簡単にいへばカメラを通じて国策を分かりやすく国民に知らせようといふ趣旨」で発刊されていました。しかしその一方で、「対外宣伝写真の蒐集といふ隠れた任務」をも帯びていました。そしてこの任務に従って、「写真週報の名義にて各種対外宣伝用写真の蒐集、撮影を行はしめ官庁の材料を蒐集してヰることを少しでも「カムフラージユ」して効果的にするやうにつとめた」とされています(以上の『写真週報』創刊の経緯や発行目的についての詳細は、下に掲げる資料4:『情報局ノ組織ト機能』62〜63ページ、70〜71ページをご参照ください)。

 資料1は、昭和12年(1937年)9月24日付で内閣情報委員会官制が改正され内閣情報部官制を交付された際の御署名原本です。ここでは内閣情報部の職務のほか、部長、書記官、属といった職員、職員外で部務に参与する委員長(内閣書記官長が担当)、委員(関係各庁高等官の中から内閣が任命)、参与、さらに情報・報道及び啓発を担当する情報官(情報部の書記官及び関係各庁の高等官の中から内閣が任命)などの職制が規定されています。

 資料2は、内閣情報部の正式発足に先立って、内閣が海軍省に対し、内閣情報部委員及び情報官任命に関する差支えの有無について照会した際のやり取りを示す文書です。ここでは内閣情報部委員として、当時の海軍次官山本五十六の名前も見えます(5画像目)。

 資料3は、昭和13年(1938年)2月16日付で発行された『写真週報』創刊号です。12画像目には『写真週報』発刊の経緯とその目的を記した「創刊の言葉」が掲載されているほか、「内閣情報部の組織」が図示されています。また同じく12画像目の「今週のキャメラ」によれば、表紙写真及び11画像目の「街に溢れる愛国行進曲」と題された写真は、著名な写真家である木村伊兵衛の撮影によるものです。

 資料4は、後に内閣情報部が内閣情報局へ改組される際に、情報局情報官の執務の参考と各省の理解と協力を求める目的で、昭和16年(1941年)5月1日に発行された『情報局ノ組織ト機能』という冊子です。この冊子では、情報局の設立経緯をはじめ局内組織の組織とその職掌などが詳しく解説されており、その一環として『写真週報』創刊の経緯や発行目的についても62〜63ページ、70〜71ページで詳しく述べられています。

 資料5は、『週報』及び『写真週報』の普及のため、その宣伝用「幻燈映画」(スライド)を各地の常設映画館で上映することについて、内閣印刷局長の依頼をうけた内務省警保局長が各庁府県長官に指示した際の文書です。印刷局長からの依頼の文書では、「現非常時局下における「週報」及「写真週報」の使命益々重大なるに鑑み」、その一層の普及をはかりたい旨が述べられています(3画像目)。これをうけた内務省警保局長から各庁府県長官への指示では、各常設映画館において「時々興業の前又は後を利用して」宣伝用「幻燈映画」(スライド)を挿入上映したい、との希望が述べられています。

 資料6は、内閣情報部が昭和13年(1938年)2月に日本橋高島屋において「思想戦展覧会」を行った際の記録をまとめた『思想戦展覧会記録図鑑』です。上に見たように、内閣情報部は、『写真週報』の発行にあたって国民の「写真による啓発宣伝」のみならず、「対外宣伝写真の蒐集」をも目的の一つとしていましたが、こうした内外への広報宣伝活動の重要性を国民に知らせる活動の一環として「思想戦展覧会」を企画し、実施しました。

 ここで「思想戦」とは、平時といわず戦時事変期といわず常に絶えず行われている「武器なき戦ひ」と規定され、特に戦時事変期においては「思想戦は相手方に我が正義の存する所を伝へ、我が威力を識らせて其の戦意を喪はせ遂には我に帰一させ、また第三者の認識を是正し其態度を有利に展開させて戦争目的を達成する為に用ゐられる手段」とされています(『思想戦展覧会記録図鑑』1ページ)。そして昭和12年(1937年)以来継続している日中戦争の中で、「思想戦は一層大切になつて参ります」(同上書3ページ)という認識にもとづいて、日本の思想戦の体制、世界の宣伝思想の発達、中国の宣伝活動の状況などが展示されました。この展示の記録写真が17ページ以降にみられます。



Japan Center for Asian Historical Records