「2. 日本における政府の広報宣伝政策の形成」で見たように第一次大戦後には外務省、陸軍省、内務省などに広報宣伝担当部門が設置されていましたが、その後昭和6年(1931年)の満州事変の際には、外務省、陸軍省がそれぞれ関係した通信社間で報道内容がしばしば食い違うなど、情報発信に混乱が見られました。こうした中で一元的な広報宣伝政策の必要性が強く認識されるようになり、外務省の情報部を中心に陸軍省の新聞班など他省の広報宣伝部門のメンバーを含めた官制によらない情報委員会が設けられ、広報宣伝政策の統合がはかられました。この情報委員会は、国内通信社を統合する試みとしての昭和10年(1935年)の同盟通信社の発足にも関与していました。こうした中で昭和11年(1936年)には、各省の情報に関する重要事務を「連絡調整」する組織として、内閣情報委員会が正式に設置されました。

 資料1は、官制によらない情報委員会と関係のあった大日本協会という団体が、昭和8年(1933年)に発行した小冊子です。ここでは、満州事変後、外務省情報部を中心に「各省の中堅の人々が集りまして情報委員会と云ふものが出来各省協力して内外与論の喚起に一歩を踏み出さうと云ふ議」が起こっていたことが述べられています(3画像目)。

 資料2は、昭和10年(1935年)の同盟通信設立に関する外務省の資料です。ここでは新通信社設立にあたり陸軍側の希望として、各省の情報担当部門の係官が「密接なる協調連絡」をはかって「一定の主義方針」を通信社に授ける必要があること、そのために「現に毎週一回開催し居れる」情報委員会を活用する必要があるが、現在のメンバーでは多過ぎるので各省委員の中から少人数の特別委員会を選び、彼らによって通信社の指導を行わせることなどが述べられています(2画像目)。これをうけ、外務省、陸軍省、海軍省の間で三省の情報担当部門の係官の中から出来るだけ少数の特別委員会を組織して三省関係の通信問題を協議し、「外務省を通して」通信社に必要な指導をおこなう旨の申し合わせがなされています(3画像目)。

 資料3は、昭和11年(1936年)6月30日付で、内閣情報委員会が官制上の機関として正式に設置された際の御署名原本です。ここでは、内閣情報委員会の職務が「各庁情報に関する重要事務の連絡調整」と規程されています。また情報委員会の構成については、委員長には内閣書記官長が就任すること、委員は内閣総理大臣の奏請により関係各庁の勅任官の中から内閣が任命することなどが規定されています。

 資料4は、内閣情報委員会の設置が内閣書記官長から陸軍次官に正式に伝えられた際の資料です。この資料には、内閣情報委員会発足時の官制、職務、事務規定、職員などをまとめた『内閣情報委員会要覧』という冊子が添付されています(9画像目〜24画像目)。

 資料5は、内閣情報委員会が、国政一般や各種法令の内容を国民および各官公庁に周知させるため官報の付属として編集した『週報』が、官報購読者には無料配布、一般の国民には発売頒布されることになったので、その普及に配慮を仰ぎたい旨を内閣情報委員会幹事長と内閣印刷局長から枢密院書記官長に対して依頼した資料です。

 資料6は、昭和11年(1936年)10月14日付で発行された『週報』第1号です。



Japan Center for Asian Historical Records