アジ歴ニューズレター第32号

2020年9月30日 発行

特集 波多野澄雄センター長特別寄稿

特集 波多野澄雄センター長特別寄稿
※お詫び:本記事は、令和2年9月30日に公開しましたが、アジ歴の所掌範囲や外邦図の閲覧方法について、誤解を招きかねない表現が含まれておりましたので、訂正いたしました。閲覧者の皆さまには謹んでお詫び申し上げます(10月13日)。

Go To Digital Archives!


恩恵と弱点

 新型コロナウイルスの感染が世界におよぶなかで、アジ歴の利用者は増えています、すでにコロナ禍の前からアジ歴の利用者は漸増傾向にあったのですが、とくに今年の4月から7月にかけてのアクセス数は、その前の4か月の1.4倍となっています。国内外の文書館や図書館が閉館や限定開館に余儀なくされ、巣ごもり研究者が増えるなかで当然といえば当然の傾向でしょう。
 利用者の増加は、それ自体はアジ歴にとっては喜ばしいことですが、デジタルアーカイヴ(DA)の急速な普及が歴史研究や歴史教育にどのような影響を及ぼすのか、という広い観点から、いったん立ち止まって考えてみることも必要に思われます。
 一般的に「資料」という概念には、過去の傷痕を示す現物そのものである原資料、紙媒体やマイクロフィルム、デジタル形式による原資料の代替物の両方が含まれます。そのうち、原資料は、とくに歴史研究や人文学の研究において伝統的に重視されてきたことは周知の通りです。多くの研究者は、原資料へのアクセスが困難となり、「次善の策」としてアジ歴を利用している、と思われます。
 確かにアジ歴を例にとっても、提供するデジタル・データは、一部を除けば原本がカラーであってもそれを表現できません。また、アジ歴は現物資料と同等の利用感覚がもてるようにすることを基本に、資料の分類、並びの秩序などを原本資料と同一にすることで、個々の資料の歴史的文脈(historical context)の理解を阻害しないよう注意を払っています。しかし、それも限界があり、原本資料を実際に手にとって、他の資料群と比較しながら、個々の資料の意味合いや、資料が醸し出す「時代の匂い」、といった感覚を再現することはできません。
 さらに、電子データの保存には、技術の日進月歩によって、データそのものが消滅してしまう、復元が不可能になってしまう、という危険性が常につきまとっています。その意味では、たとえば、150年以上前、西南戦争の際に 作成された墨書きの文書類が未だ色あせることなく閲覧に耐えるのは、上質の紙媒体の優位性を物語っているといえるかも知れません。10年以上前から、米国国立公文書館は、電子データの永久保存の仕組みに取り組んだのですが、未だ実現できていないようです。
 こうしたデジタル・データの弱点や欠陥のゆえに、アジ歴の活用は多くの歴史研究者にとっての「次善の策」なのでしょう。しかしながら、近年の国際公文書館会議などの設定テーマを一瞥するだけでも、DAの急速な普及と検索機能の格段の進化は、世界の歴史研究のあり方を大きく変えようとしていることが実感できます。


何が変わるのか

 では、歴史研究の何が変わろうとしているのでしょうか。身近なところでは、資料の入手・閲覧が容易となり、所蔵機関への訪問の手間がはぶけること。アジ歴の場合も、とくに外国に在住するユーザーには便利なツールとなっています。
 検索手法の進化という面では,複数の資料群を一括して集積し,横断的検索によって多角的な検索が可能になっています。アジ歴の場合も、一つの歴史上の出来事について、複数機関が所蔵する関係資料の横断的検索が可能になり、新たな事実の発見があったり、解釈が見直されたりした例がいくつもあります。
 また、原資料からの翻刻など活字化が容易な分野は、資料本文がテキスト化され、全文検索が可能になるというメリットは大きいといえます。問題設定のプロセスでも、仮説や理論を前提に資料検索を行うという演繹的な方法から、大量の資料群を検索しながら仮説をつくる、という帰納的な方法への転換もありうるでしょう。事前の問題設定にとらわれない柔軟な試行錯誤が可能となる、これもデジタル化の恩恵かもしれません。
 デジタル化の恩恵という意味では、世界各地の経済成長にかかわるデータを数世紀にわたって収集し、それを解析して世界の経済成長の趨勢を正確に見極める、といった数量経済史などがますます発展することは明らかです。
 歴史研究にとってのDAの普及は,こうした恩恵の反面、いくつかのマイナスの影響も報告されています。その一つは、資料を丁寧に読み込もうという意識が薄れること、資料に向きあう緊張感が低下する、といった傾向です。こうした傾向は,歴史解釈のための前提となる知識や訓練,方法論が未熟なまま研究を進めてしまう、という懸念と裏腹の関係にあるのでしょう。デジタル化による原資料の開放は,歴史の素人と玄人の別をなくしてしまい、成果物の質が保てない、という声は時々聞かれます。このことを少し考えてみます。


歴史研究の開放

 恐らくデジタル化の最大のメリットは、アジ歴を例にとれば、歴史研究者だけでなく、一般のユーザーにも原資料への簡便なアクセスと利用の道を開いた、ということでしょう。歴史研究が一部の専門家の手から一般市民に開放されたことは、上記のようなデメリットももちろんありますが、歴史解釈や評価の多様化、新領域の開拓の可能性は広がったと考えるべきでしょう。実際、歴史の玄人では思いつかないような発想も珍しくなくなってきました。
 ところでアジ歴は、自ら資料を入手してデジタル化を行っているわけではありません。もっぱら3館(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所戦史研究センター、国立公文書館)からデジタル・データの形で資料提供を受け、それを広く公開することを任務としています。にもかかわらず、様々な資料のデジタル化や保管・管理について、依頼や相談を受ける場合があります。
 これまでの例ですと、参謀本部陸地測量部が作成した「外邦図」が最も大規模なものです。外邦図とは、参謀本部が主に軍事目的のために、1888年から第2次世界大戦の終結迄の間に作成した細密な地図で、旧日本領土(朝鮮半島、台湾、樺太、南洋群島など)を中心に、北は中国北部、シベリア、東は米国本土の一部、南はオーストラリア、西はパキスタンに及びます。
 敗戦による処分、接収を免れた外邦図は大学などに分散保管されていましたが、その後に外邦図研究が進展し、東北大学、お茶の水女子大学、京都大学などの共同研究グループが1万数千点のデジタル化を進め、外邦図DAとして公開してきたものです。現在、外邦図は、その一部ですが国立公文書館の閲覧室内でデジタル画像による閲覧が可能となっています。
 想像を逞しくしてみれば、外邦図に、世界の経済成長の長期分析データや人口統計データなどを組み合わせれば、地理学や地形学の範疇を超え、東アジアの交通網や景観の歴史的変化、あるいは人口移動や産業の動態などが立体的に把握できるかもしれません。
 いずれにしても、DAの進化は、歴史研究の方法や対象に無限の広がりをもたらすことでしょう。そうであればこそ、歴史研究者に求められるものは、歴史資料から必要な情報を引き出し、それを活用して適切な成果物を生み出す、という基本的な能力はもとより、垣根を超えた少しばかりの想像力を磨くこと、これらにつきると思われます。

                                   
<アジア歴史資料センター長 波多野澄雄>