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明治前期の建白 ~建白書の時代~

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自由民権運動と建白

  • (1) 民撰議院設立建白書

    (1) 民撰議院設立建白書

明治期の建白書と言えば、明治7年(1874年)の板垣退助らによる民撰議院設立建白が有名です(1)。国会開設を求めるこの建白書の提出から、自由民権運動が始まりました。明治12年(1879年)には、千葉県の桜井静による提案を契機として、全国各地から国会開設の建白書が提出されています。

各地の府県会議員や有志が賛同し、多くの署名を集めたこの請願運動は、明治14年(1881年)10月に国会開設の詔勅が出されるまで続きました。また、明治20年(1887年)の三大事件建白運動では、地租軽減・言論集会の自由・外交失策の挽回(不平等条約問題)を掲げて、民権派の有志代表が全国各地から上京し、建白書を提出しています。このように建白は、自由民権運動を昂揚させる手段となり、また民権運動を弾圧した讒謗律や新聞紙条例に反対する意見表明の場を提供することになりました。

明治前期の建白

  • (2) 王政復古の大号令

    (2) 王政復古の大号令

明治前期は、建白書の時代でした。明治政府が一般の人々からの建白を認めたのは、慶応3年(1868年)の王政復古の大号令からです。その一節には「旧弊御一洗ニ付、言語ノ道被洞開(どうかいせられ)候間、見込ノ向ハ不拘貴賎(きせんにかかわらず)、無忌憚(きたんなく)、可致献言(けんげんいたすべく)……」とあります(2)。明治23年(1890年)に帝国議会が開かれるまで、一般の人々が政府に対して直接意見を述べるには、建白書を提出するほかありませんでした。

自由民権運動が、建白を運動の主要な手段の一つとしたのには、このような事情があったのです。その一方で、「言語ノ道被洞開」(言論の開放)という政府の姿勢に共鳴して、建白書提出のために稼業を投げ打って、上京する人々も現れました(もちろん、文章が書けて、何日も家を空けられるのは、富裕な人々に限られます)。

さまざまな建白書

  • (3) 新発明醤油之儀ニ付建言

    (3) 新発明醤油之儀ニ付建言

  • (4) 禁止田地売買之議

    (4) 禁止田地売買之議

  • (5) 衣冠ノ議五条

    (5) 衣冠ノ議五条

  • (6) 青森県士族橋爪幸昌外債償却建言一件

    (6) 青森県士族橋爪幸昌外債償却建言一件

  • 新発明の醤油

    • (3)は、名東県(現在の徳島県、香川県、兵庫県の一部)の士族・武内寿平が、明治7(1874)年に提出した「新発明醤油之儀ニ付建言」という建白書です。その新発明の醤油とは、麦大豆を使用せず、清酒の絞り粕で醸造したもので、「滋味濃色ニシテ、年ヲ経テ腐敗ノ憂ナク、殊ニ廉価」であり、実用化すれば「窮民救助ノ一旦〔ママ〕ニモ」なるとしています。建白書には、具体的な醸造方法を記した「新発明醤油製造方法書」が附されています。
  • 田地売買の禁止

    • (4)は、桜井(現千葉県木更津市の桜井藩か桜井県か)の近藤門造が提出した「禁止田地売買之議」(年代不詳)です。江戸幕府が田畑の売買を禁じた田畑永代売買禁止令(寛永20年・1643年)は、江戸中期以降に形骸化していきました。近藤は、その現状と将来を「民、公田ヲ私ニシ、質地或ハ譲地ト号シ、全ク売地ニ致シタル分ハ、豪農富商ノ為メニ掠奪セラレ、小民ハ、其田ヲ借作シテ租税ヲ両端ニ収メ、生活ノ道、益々乏キニ至ラン」として、田畑の売買を禁止すべきと主張しています。これに対して、明治政府は1872年、田畑永代売買禁止令を廃止して、土地売買の現実を追認しました。
  • 新しい官服

    • (5)は、佐倉(現千葉県)の依田右衛門二郎(漢学者・依田学海か)が提出した「衣冠ノ議五条」(年代不詳)という建白書です。依田は、「従来ノ官服其外上下肩衣羽織袴ノ類」(江戸時代の武士の礼装など)を廃止すべきと主張し、そのような官服(官吏が着ている制服)は「古ノ制度」ではなく「中古ヨリ誤リ来レル者」が多いので、惜しむべきものではないとしています。そして、官服には、「烏帽子(えぼし)」と「鎧直垂(よろいひたたれ)」(鎧の下に着る直垂)という平安時代に由来する服装とともに、舶来品を含めた革靴を提案しています。革靴をはじめ、紙か絹製の軽い「烏帽子」と動きやすい「鎧直垂」という選択から、依田の機能性を重視する姿勢がうかがえます。また、服の色については「古ニ復シテ、上下貴賎ヲ別ツ事」として、「隋唐ノ制ニ倣」った古代のそれに戻すべきとしています。
  • 外債償却の献金運動

    • 明治6(1873)年に青森県の士族・橋爪幸昌が提出した、外債(外国からの借金)問題に関する建白書は、新聞に掲載されて大きな社会的反響をよびました。(6)は、橋爪の建白に関する新聞記事の写しが所収されている史料です。橋爪の主張は、当時話題となっていた巨額の外債について、国民一人当たりにすればわずか16銭2厘にすぎないとして、政府への献金を呼びかけるものでした。建白書は、この献金運動への許可を政府に求めたものです。しかし、明治政府は、外債の償却は政府の義務であり、その目途も立っているとして、橋爪の提案を拒んでいます。

建白書の閲覧について

アジ歴では、国立公文書館所蔵の建白書関係資料のうち、これまでに『記録材料・建白書仮綴』6冊、『公文別録・諸建白書・明治三年~明治六年・第一巻』、『公文別録・上書建言録』3冊、および『公文録・明治八年・元老院附録』の一部を公開しています。これらに所収されている建白書は、約300件です。なお、国立公文書館で所蔵している建白書の総数は、約2200件です。

<参考文献>
  • 色川大吉・我部政男監修『明治建白書集成』第1~9巻(筑摩書房、1986~2000年)
  • 柴田和夫「国立公文書館所蔵明治初期建白書について」(『北の丸』2号、1974年)
  • 牧原憲夫『明治七年の大論争』(日本経済評論社、1990年)