日露戦争特別展2 開戦から日本海海戦まで激闘500日の記録
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明治37年(1904年)10月26日 第2次旅順総攻撃

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期間
明治37年(1904年)10月26日~31日
場所 遼東半島西端
概要 日本陸軍第三軍は、8月に失敗に終わった旅順への総攻撃を10月に再度試みましたが、思うように戦果を挙げることができず、大きな犠牲を払うことになりました。
 
 
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関連資料

第2次旅順総攻撃
関連資料1 第三軍司令官命令・第2次総攻撃の目標
関連資料2 28センチ砲6門の送付
関連資料3 28センチ砲の鉄道輸送
関連資料4 28センチ砲配備のための工事用機材送付
関連資料5 第三軍より海軍への通報・26日の28センチ砲による砲撃
関連資料6 第三軍命令・10月30日午後1時より攻撃開始
関連資料7 第三軍命令・総攻撃の苦戦

関連資料(詳細)

関連資料1
レファレンスコード : C06041201500
件名 : 第3軍司令官命令 10月25日 軍隊区分、各師団攻撃目標他

■資料解説

 

 明治37年(1904年)10月25日午前6時付で、第三軍司令官の乃木希典大将の名義で出された命令です。

 1~3画像目に、軍隊区分(作戦中の軍の編成)が記されており、続いて各部隊の攻撃計画が示されています。3画像目に「陸戦重砲隊」という項目があり、その装備として「廿八珊知榴弾砲十八門」(28センチ榴弾砲18門)と記されています。この「陸戦重砲隊」は大砲による砲撃を主任務とする海軍の部隊で、旅順攻撃の際に陸軍の部隊と共に行動し、28センチ砲等の大砲による砲撃を行いました。

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関連資料2
レファレンスコード : C03020224200
件名 : 28珊米榴弾砲送付之件

■資料解説

 

 28センチ砲6門を旅順に送り込んだ際の文書です。

 13画像目に、満州軍総司令官の大山巌より参謀総長山県有朋に対して、第三軍で28センチ砲(二十八珊知榴弾砲)6門を増加する必要があるので早急に対処してほしいと要請した電報の写しがあります。

 11画像目には、これに対して山県が、鎮海湾に輸送中の28センチ砲6門と1門当たり200発分の砲弾(計1,200発)、さらに砲の設置に要する機材等一式を、一時旅順に送るように指示した文書があります。8~10画像目は機材一式の一覧です。

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関連資料3
レファレンスコード : C03027691100
件名 : 軽便鉄道材料請求の件

■資料解説

 

 28センチ砲と砲弾を陸上で輸送するための軽便鉄道(小型の鉄道)の設置のための機材一式が送られた際のやり取りです。

 軽便鉄道のためのレール等20キロメートル分、1トン積の貨車50台、半トン(500キロ)積の台車250台が、第三軍から請求されていることがわかります。

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関連資料4
レファレンスコード : C03020187100
件名 : 28珊米榴弾砲用器具携行の件

■資料解説

 

 28センチ砲を戦場に設置するための機材が旅順に向けて送られた際のやり取りです。

 機材一揃いが旅順に向けて一旦送り出された後、更に工事用のクレーン(起重機)2台が急いで送られたことがわかります。

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関連資料5
レファレンスコード : C09050596300
件名 : 第3軍通報(10)

■資料解説

 

 旅順攻撃にあたった陸軍第三軍から海軍に送られた通報です。

 5画像目に、第2次総攻撃が開始された明治37年(1904年)10月26日における28センチ砲による攻撃の成果が記されており、ここでは、

  ・松樹山砲台に対し発射弾81発、うち命中弾47発
  ・二龍山砲台に対し発射弾132発、うち「最も効力ありし」命中弾21発
  ・東鶏冠山砲台に対し発射弾77発、うち命中弾59発
  ・同北砲台に対し発射弾85発、うち命中弾41発
  ・東鶏冠山火砲1門を破壊
  ・同北砲台火薬庫を爆破

が挙げられています。また、海軍の陸戦重砲隊との合同での砲撃の成果として、

  ・松樹山砲の15センチ砲1門の破壊
  ・他の1門の毀損
  ・掩蓋(弾よけのための覆い)数か所の破壊

が挙げられています。

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関連資料6
レファレンスコード : C06041201800
件名 : 第3軍命令10月28日 軍は30日午後の時を以って攻撃実施

■資料解説

 

 明治37年(1904年)10月28日午後9時付で、第三軍司令官の乃木希典大将の名義で出された命令です。

 30日午後1時に攻撃を実施することが示されています。

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関連資料7
レファレンスコード : C06041202200
件名 : 第3軍命令10月31日 松樹山、二龍山、東鶏冠山北の3砲台の占領他

■資料解説

 

 明治37年(1904年)10月31日午前8時付で、第三軍司令官の乃木希典大将の名義で出された命令です。

 松樹山砲台、二龍山砲台、東鶏冠山北砲台への突撃が、外濠に阻まれてうまく行えなかったことを始め、それまでの戦闘の経緯が記された後、各部隊の攻撃計画が示されています。

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参考文献   大江志乃夫『世界史としての日露戦争』、立風書房、2001年
谷壽夫『《明治百年史叢書》第3巻 機密日露戦史』、原書房、1966年
デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー、妹尾作太男、三谷庸雄共訳『日露戦争全史』、時事通信社、1978年
沙河会戦に戻ります 第3次旅順総攻撃に進みます
 
 
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