日露戦争特別展2 開戦から日本海海戦まで激闘500日の記録
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日露戦争トピック

 
 

戦艦三笠の半生

4.帰還~爆発沈没

 日本海海戦を終えた三笠はすぐに佐世保軍港に帰還し、傷ついた艦体の修理が開始されました。【資料24】にある明治38年(1905年)6月1日分の日誌には、昼夜にわたって修理工事が続けられていることが記されています(2画像目)。6月4日以降、三笠は佐世保と鎮海湾との間を幾度か往復し、艦隊の他の艦船と共に、日本海海戦の祝勝儀礼や勲章の授与式等を行っています(6~26画像目)。
▲日本海海戦で後部マストを破損した
戦艦「三笠」
(防衛省防衛研究所所蔵)

 6月17日には連合艦隊の改編が行われ(27~30、43画像目)、これ以降、新しい編制での訓練が鎮海湾で続けられました。【資料25】の日誌には、7月1日に陸戦隊を用いた大規模な演習が行われたことが記録されており、(3~9画像目)、これに対する講評の内容も読むことができます(14~20画像目)。

 明治38年(1905年)7月15日午前11時、連合艦隊旗艦が戦艦敷島に移され(47~58画像目)、三笠は本格的な修理のために呉軍港に向かうことになります。17日の早朝に出発した三笠は、かなりの悪天候に苦しめられながら、翌日の午後7時40分に呉軍港に到着しました(61~63画像目)。そして、これ以降一ヶ月余りにわたって、同港で修理工事を行うことになります。【資料26】の日誌によれば、三笠が修理を終えて呉軍港を出発したのは明治38年(1905年)8月25日で、翌日には佐世保軍港へと移動しています(17~18画像目)。29日には三笠は再び連合艦隊旗艦となり、石炭の積載や訓練を行っています(20~22画像目)。 やがて三笠はこの佐世保港で9月5日の日露講和条約締結の日を迎えました。

 その直後の明治38年(1905年)9月11日未明、突如として、後部弾薬庫の爆発炎上により三笠が沈没するという大事故が発生しました。【資料27】には、この事故についての様々な記録が収められています。事故翌日の9月12日の大本営海軍幕僚によるまとめには、9月11日午前0時20分に三笠で火災が発生し、佐世保港の海上及び陸上から防火隊が集まって消火活動を行ったが火元がわからず、同午前1時37分に後部弾薬庫の一部が爆発して艦体の左側に穴があき、ここから激しい浸水が起こった結果、2時30分に三笠の艦体は海底に沈んだ、という事故の概要が記されています。ここに示された表によれば、この事故による死傷者は、三笠では、死亡が2名、生死不明が230名、重傷が4名、軽傷が3名、そして199名が怪我の程度が不明とされています。さらに、敷島、朝日、冨士などの他の艦船の乗員や、佐世保港の要員を加えると、全死傷者数はこの時点で599名となっています。また、火災の原因の究明には三笠を引き上げる必要があり、直ちに査問委員を設けて調査を開始したとも記されています(2画像目)。

 このとき設置されたのが「三笠変災査問委員会」でした。委員会は関係者への聞き取りを行い、事故の原因を調査しました。【資料28】には、委員長の海軍中将三須宗太郎が、連合艦隊参謀の秋山真之に対して事故原因に関する問い合わせを行った際に、秋山自らが返答を行った文書があります。三須委員長は、秋山に対して「号火」(信号用の火)のために用意されていた火薬についての詳細を秋山に尋ね、これに応じて秋山は、この火薬はそもそも密封した瓶詰めのもので簡単に火がつくことはない、という内容の返答を行っているのがわかります(1~3画像目)。

 こうして戦艦三笠は、日本海海戦を戦い抜きながらも、事故によって一夜にして失われてしまいました。【資料29】には、日露戦争終結後の明治38年(1905年)10月23日に横浜沖で行われた連合艦隊の凱旋観艦式の際の式次第と艦船の配置図がありますが、ここには三笠の名前はありません。三笠に代わって戦艦敷島が旗艦を務めたのでした(1~15画像目)。三笠の沈没は、同艦の日露戦争での活躍を知る海外にも伝わり、各国から見舞いの電報が届けられたことが【資料30】からわかります(1~67画像目)。

関連資料24
レファレンスコード : C09050341000
件名 : 軍艦三笠戦時日誌4(7)
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関連資料25
レファレンスコード : C09050341200
件名 : 軍艦三笠戦時日誌4(9)
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関連資料26
レファレンスコード : C09050341400
件名 : 軍艦三笠戦時日誌4(11)
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関連資料27
レファレンスコード : B07090400900
件名 : 3.軍艦三笠佐世保ニ於テ火災ノ件
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関連資料28
レファレンスコード : C06091711000
件名 : 三笠沈没事件査問記録(17)
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関連資料29
レファレンスコード : C09020045600
件名 : 明治37 8年 観艦式(4)
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関連資料30
レファレンスコード : C09020074100
件名 : 三笠遭難 自38年至40年(3)
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