■ 人 名 ■


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明石元二郎(あかし・もとじろう)
元治元年(1864年)−大正8年(1919年)
 明治・大正期の陸軍軍人です。 明治35年(1902年)にロシア公使館の駐在武官となり、日露戦争が勃発するとスウェーデンに移り、 この地を根拠としてロシアの革命分子と連絡をとるなど、対ロシア諜報活動に従事しました。


愛媛県松山市
提供


秋山真之(あきやま・さねゆき)
慶応4年(1868年)−大正7年(1918年)
 日本海軍の参謀として、日露戦争では黄海海戦、日本海海戦などに参加しました。 大正6年(1917年)中将に昇進。


愛媛県松山市
提供


秋山好古(あきやま・よしふる)
安政6年(1859年)−昭和5年(1930年)
 日本陸軍の騎兵の創設に貢献した人物です。 日露戦争で奉天の戦いなどに参加しました。 大正5年(1916年)には、大将に昇進、大正12年(1923年)に予備役編入。


山口県大和町
伊藤公記念館提供


伊藤博文(いとう・ひろぶみ)
天保12年(1841年)−明治42年(1909年)
 幕末・明治期の政治家で、初代内閣総理大臣を始めとする要職を歴任しました。 明治28年(1895年)の下関講和会議では、日本側の全権として日清講和条約に調印しました。



S・ウィッテ Sergei Iulevich Witte
1849年(嘉永2年)−1915年(大正4年)
 ロシア帝国の政治家として、交通通信大臣、大蔵大臣を歴任しました。 1905年(明治38年)の日露講和会議ではロシア側の首席全権委員として参加した後、ニコライ2世から伯爵位を授けられました。



中央研究院
近代史研究所提供


袁世凱(えん・せいがい) Yuan Shikai
1859年(安政6年)−1916年(大正5年)
 清朝末期から中華民国初期の政治家です。李鴻章の死後、清朝最大の実力者となりました。 辛亥革命の後、1912年(大正元年)に中華民国臨時大総統(後に正式に総統)に就任しました。後に皇帝の位につきましたが、内外の反対が強く帝位を維持することが困難となり、退位しました。



大山巌(おおやま・いわお)
天保13年(1842年)−大正5年(1916年)
 明治・大正期の政治家、陸軍軍人です。 日本陸軍の創設に貢献し、日清戦争と日露戦争では日本軍の司令官として出征しました。



奥保鞏(おく・やすかた)
弘化3年(1846年)−昭和5年(1930年)
 明治・大正期の陸軍軍人です。 西南戦争、日清戦争に従軍しました。日露戦争では第2軍司令官として出征、 明治44年(1911年)に元帥に昇進しました。



桂太郎(かつら・たろう)
弘化4年(1847年)−大正2年(1913年)
 明治・大正期の政治家・陸軍軍人です。台湾総督、陸軍大臣などの要職を歴任した後、明治34年(1901年)から日露戦争をはさむ約5年間と明治41年から約3年間の2度にわたり内閣総理大臣を務めました。 



黒木為驕iくろき・ためもと)
天保15年(1844年)−大正12年(1923年)
 明治期の陸軍軍人です。 戊辰戦争、西南戦争、日清戦争に従軍し、日露戦争では第1軍司令官として出征しました。 明治42年(1909年)に後備役(現役と予備役をあわせた常備兵役を終了した者が服する兵役の一種)に編入されます。






A・クロパトキン Aleksei Nikolaevich Kuropatkin
1848年(嘉永元年)−1925年(大正15年)
 ロシア帝国の陸軍軍人です。 17歳で入隊した後、中央アジアへの遠征や露土戦争(ロシアとトルコ間の戦争)に従軍し、陸軍大臣などの軍の要職を歴任しました。 日露戦争ではロシア軍を指揮し、第一次世界大戦にも従軍しますが、ロシア革命後は故郷にもどって晩年を過ごしました。



児玉源太郎(こだま・げんたろう)
嘉永5年(1852年)−明治39年(1906年)
 明治期の日本陸軍における代表的な人物です。 戊辰・西南戦争で功績をたてた後、参謀本部第一局長や陸軍大学校校長、台湾総督、陸軍大臣などを歴任しました。 日露戦争においては、満州軍総参謀長として従軍しています。



小村寿太郎(こむら・じゅたろう)
安政2年(1855年)−明治44年(1911年)
 日英同盟や日露戦争に外交官として関わりました。 特に明治38年(1905年)8月の日露講和会議に際しては全権大使の要職を担いました。 第二次桂内閣の外相もつとめ、明治43年(1911年)、日米通商航海条約に調印して関税自主権の回復を実現しました。



A・ステッセル Anatoli Mikhaylovich Stessel
1848年(嘉永元年)−1915年(大正4年)
 ロシア帝国の陸軍軍人です。 露土戦争や北清事変に従軍した後、日露戦争では関東防衛軍管区の司令官として旅順要塞の指揮をとり、1905年(明治38年)に日本軍に降伏しました。 1906年(明治39年)に軍法会議にかけられた後、有罪を宣告されて禁固刑に処されました。






高橋是清(たかはし・これきよ)
安政元年(1854年)−昭和11年(1936年)
 明治後期から昭和初期にかけての政治家・財政家です。 明治32年(1899年)に日本銀行副総裁となり、金本位制の確立、日露戦争の戦費調達を実現しました。 昭和6年(1931年)に蔵相に就任後、二・二六事件で殺害されました。






高平小五郎(たかひら・こごろう)
安政元年(1854年)−大正15年(1926年)
 明治・大正期の外交官・政治家です。 明治9年(1876年)に外務省勤務となって以来、総領事や公使として欧米各国に派遣されました。日露戦争期には駐アメリカ公使を務め、ルーズヴェルト大統領に講和の斡旋を依頼、日露講和会議では日本側の全権委員として参加しました。 大正6年(1917年)には貴族院議員となりました。



寺内正毅(てらうち・まさたけ)
嘉永5年(1852年)−大正8年(1919年)
 明治・大正期の陸軍軍人、政治家です。 桂太郎内閣で陸軍大臣となり、日露戦争での勝利に尽力しました。 明治43年(1910年)には陸軍大臣兼任のまま、第3代韓国統監に就任し、韓国併合に際して初代朝鮮総督となりました。



東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)
弘化4年(1847年)−昭和9年(1934年)
 明治から昭和初期の海軍軍人です。 日露戦争では連合艦隊司令長官に就任し、黄海海戦や日本海海戦では日本の艦隊を指揮しました。 戦後、海軍軍令部長になり、後に元帥にも列せられました。



長岡外史(ながおか・がいし)
安政5年(1858年)−昭和8年(1933年)
 明治・大正期の陸軍軍人です。 日清戦争に従軍しましたが、日露戦争では参謀次長として国内にとどまりました。 大正13年(1924年)には衆議院議員に当選しました。



ニコライ2世 Nikolai II Aleksandrovich Romanov
1868年(慶応4年)−1918年(大正7年)
 ロシア帝国最後の皇帝です。 日露戦争の敗北は、後に第一次世界大戦の最中に起こるロシア革命のきっかけとなったとも言われています。 1918年(大正7年)にソビエト政権によって銃殺されました。



乃木希典(のぎ・まれすけ)
嘉永2年(1849年)−大正元年(1912年)
 明治期の陸軍軍人です。 日清戦争では歩兵第一旅団長として旅順攻略に参加しました。 明治29年(1896年)には台湾総督となります。日露戦争では第三軍司令官として旅順攻略戦や奉天会戦に参加しました。 明治天皇の大喪の日、自ら命を絶ちました。



野津道貫(のづ・みちつら)
天保12年(1841年) −明治41年(1908年)
 明治期の陸軍軍人です。 西南戦争、日清戦争に従軍し、日露戦争では第4軍司令官として活躍しました。 明治40年(1907年)には貴族院議員になりました。



林 董(はやし・ただす)
嘉永3年(1850年)−大正2年(1913年)
 明治・大正期の外交官・政治家です。 明治34年(1901年)から明治35年(1902年)にかけて、駐イギリス公使だった林は日英同盟協約の締結に取り組み、明治39年(1906年)には外務大臣に就任しました。



広瀬武夫(ひろせ・たけお)
慶応4年(1868年)−明治37年(1904年)
 日本海軍の軍人で、日露戦争では旅順口閉塞(へいそく)作戦に参加し、明治37年3月27日に戦死しました。 その時の功績をたたえられた広瀬武夫は、軍人の模範と賞賛され、国民的英雄となりました。



陸奥宗光(むつ・むねみつ)
弘化元年(1844年)−明治30年(1897年)
 明治25年(1892年)8月に成立した第二次伊藤博文内閣の外務大臣です。 日清戦争直前に日英通商航海条約を結び条約改正に成功し、日清戦争と三国干渉の処理にあたりました。



山県有朋(やまがた・ありとも)
天保9年(1838年)−大正11年(1922年)
 幕末から大正期の軍人・政治家です。 明治6年(1873年)に初代陸軍卿(陸軍大臣に相当)に就任するなど、日本陸軍の創設に大きな貢献をはたしました。 日露戦争中は、参謀総長に就任しています。



山本権兵衛(やまもと・ごんべえ)
嘉永5年(1852年)−昭和8年(1933年)
 明治・大正・昭和期の海軍軍人・政治家です。 日本海軍の育成に貢献し、大正2年(1913年)に第一次山本内閣を組織しますが、翌年シーメンス事件で退陣しました。 第二次山本内閣の際には、関東大震災の復旧にあたりました。


 





李鴻章(り・こうしょう) Li Hongzhang
1823年(文政6年)−1901年(明治34年)
 清国の政治家です。 太平天国の乱の時に淮軍(わいぐん)を結成し、その後も清国の重鎮として直隷総督、北洋大臣を兼務しました。 日清戦争では彼の指揮下にあった北洋軍が敗北し、清国全権として下関で日清講和条約に調印しました。


 


T・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt
1858年(安政5年)−1919年(大正8年)
 アメリカの第26代大統領。 マッキンレー大統領の暗殺によって、1901年(明治34年)に副大統領から大統領に就任しました。 日露戦争に際し、日本を財政的・精神的に援助し、日露講和条約の成立に力を貸しました。



R・ローゼン Roman Romanovich Rosen
1847年(弘化4年)−1922年(大正11年)
 ロシア帝国の外交官です。 1897年(明治31年)から1904年(明治37年)に駐日公使を勤めた後、1905年(明治38年)には駐アメリカ大使として日露講和会議に参加しました。