ロシア帝国最後の皇帝です。 日露戦争での敗北はニコライ2世の威信を失墜させ、これがやがて第一次世界大戦の最中に勃発するロシア革命のきっかけとなりました。 革命後の1918年(大正7年)、ニコライは新政権によって銃殺されました。 享年50歳。
 ニコライ2世に関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「ニコライ」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法ですと、5件の資料が一覧として表示されます。 また「露西亜」「露国皇帝」などをキーワードとして入力したり、年代を特定して検索していただくと、別の資料を閲覧できます。

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出  来  事
1868年
(慶応4年)
ロシアのツァースコエ・セロ(Tsarskoe Selo)に生まれる
1891年
(明治24年)

暗殺未遂事件により負傷( 大津事件
 当時皇太子だったニコライは日本を訪れた際、滋賀県の大津において、彼を警護中だった津田三蔵という警官に斬りつけられて負傷しました。 この事件は日本政府を震撼させるものでした。
(『坂の上の雲』文庫版第2巻、314〜316頁)

表 題:大津事件○各庁通信
レファレンスコード:A03023043300
 ロシア帝国皇太子暗殺未遂事件の直後、各大臣に対して送られた事件の第一報の内容を記録した公文書です。
(国立公文書館所蔵)

1894年
(明治27年)

ヘッセン大公女のアレックス王女と結婚
ロシア帝国皇帝に即位(戴冠式)

表 題:露国皇帝陛下戴冠式へ御参列の貞愛親王殿下御出発の件
レファレンスコード:C03030963700
 ニコライ2世の戴冠式に参列するためにロシアに向かう伏見宮貞愛親王の旅行の日程を、宮内省が陸軍省に通達した公文書です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

1895年
(明治28年)

三国干渉を行う
 日清講和条約の直後、フランス・ドイツ・ロシアの三国は日本に対して、条約によって領有した遼東半島清国に返すよう要求しました。 日本はこの要求に応じて遼東半島を清国に還付しました。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、113〜115頁)

表 題:露独仏三国ノ干渉(蹇蹇録)
レファレンスコード:B03030024800
 当時の外務大臣だった陸奥宗光が、フランス・ドイツ・ロシアとの交渉の詳細を記しています。
(外務省外交史料館所蔵)

1904年
(明治37年)

ロシア帝国が日本に対し宣戦布告
 日本軍による一連の攻撃の後、2月10日にロシア帝国は正式に日本に対して宣戦布告を行います。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、227〜229頁)

表 題:タイムスの日露戦争批評(一)
レファレンスコード:A03023681000
 イギリスのタイムズ紙は2月10日の時点で既に、日露戦争の戦況についての詳細な記事を載せていました。
(国立公文書館所蔵)

1905年
(明治38年)

日露講和条約の締結
 ロシア軍のあいつぐ敗北は、ニコライ2世の威信を失墜させました。 この後、ロシア国内の反政府運動は拡大の一途をたどります。
(『坂の上の雲』文庫版第8巻、269〜270頁)

表 題:各国内政関係雑纂/露国ノ部
レファレンスコード:B03050938700
 日露戦争の終結後、ロシア国内の情勢がますます不安定になっていく様子を、ヨーロッパに駐在する外交官が報告しています。
(外務省外交史料館所蔵)

1914年
(大正3年)
第一次世界大戦の勃発
1917年
(大正6年)
二月革命の勃発により廃位
1918年
(大正7年)

ソビエト政権により銃殺される(50歳)

表 題:在外公館ヨリ露国関係情報来電綴
レファレンスコード:B03051128700
 ニコライ2世を銃殺したというソビエト政府の発表を、ロンドンの珍田大使が外務大臣に報告しています。
(外務省外交史料館所蔵)