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  清国末期の政治家です。 太平天国の乱の時には准軍(わいぐん)を結成し、その後も清国の重鎮として直隷総督北洋大臣を兼務しました。 日清戦争では彼の指揮下にあった北洋軍が敗北し、清国全権として下関で日清講和条約に調印しました。 1901年(明治34年)、北清事変(義和団事変)の最終議定書への調印の後、78歳で没。
 李鴻章に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「李鴻章」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「李鴻章」をキーワードにして検索すると、331件の資料が一覧表示されます。「直隷総督李鴻章」「清国全権大臣李鴻章」などと範囲を限定して入力したり、年代を特定することでさらに絞り込むことができます。

解説文や年表の中の下線の付された文字は、
細字は関連する資料に、
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それぞれリンクしています。

出  来  事
1823年
(文政6年)
中国の安徽省合肥に生まれる
1847年
(弘化4年)
科挙(官僚登用試験)に合格して進士となる
1858年
(安政5年)
湘軍(しょうぐん)の司令官である曾国藩の幕僚となる
1862年
(文久2年)
江蘇省の巡撫(じゅんぶ:省の長官)に就任
 淮軍(わいぐん)を編成して、太平天国の乱を鎮圧します。
1870年
(明治3年)
直隷総督に就任
 李はこれ以後25年間その地位を維持します。
1894年
(明治27年)
日清戦争勃発
1895年
(明治28年)

日清講和条約に調印

表 題:御署名原本・日清両国媾和条約及別約
レファレンスコード:A03020213100
 明治天皇の批准を受けて公布された日清講和条約の原本です。 日清講和条約は、日本側全権の伊藤博文陸奥宗光、清国側全権の李鴻章・李経方によって下関で調印されました。
(国立公文書館所蔵)

1896年
(明治29年)

露清密約(李・ロバノフ密約)を締結
(『坂の上の雲』文庫版第2巻、356〜358頁)

表 題:ウイッテ伯備忘録中一八九六年ノ露清密約締結ノ経緯ヲ説明セル一節
レファレンスコード:B03030297600
 ロシアの蔵相であるウィッテの備忘録を翻訳したものです。 露清密約をめぐる李鴻章とウィッテとのやり取りが記されています。
(外務省外交史料館所蔵)

1901年
(明治34年)

北清事変(義和団事件)の最終議定書に調印
(『坂の上の雲』文庫版第2巻、359〜369頁)
 条約調印の2ヶ月後に没(78歳)

表 題:明治三十四年義和団事変ニ関スル最終議定書
レファレンスコード:B02130014500
 明治34年(1901年)9月、北清事変(義和団事件)をめぐって、清国と諸外国との間の最終議定書が北京で締結されました。 李鴻章は「清国全権委員」として調印しています。
(外務省外交史料館所蔵)