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給与に関係した資料をそろえています。 軍政に関係した資料をそろえています。


 文中の太字に下線がある語句は日露戦争用語集にリンクしています。

 歴史を理解する上で統計データは欠かすことができません。そこでこのコーナーでは、日露戦争に関わる統計資料などをあげ、資料に関連した表やグラフを補足しました。
 公文書に示されたデータを1つ1つ検証することは、日露戦争のころの日本の姿を新しい視点から見直すよい機会になるでしょう。

こうした事柄に関連して、アジア歴史資料センターには以下のような資料があります。

1. 日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ経済的得失 昭和十一年十一月
2. 明治三十六年度海軍臨時艦艇製造費概算及之ニ関聯ノ法律案ノ件
3. 作戦用弾薬準備に関する件
4. 戦後財政整理に関する件



下の画像をクリックしていただくと、日露戦争と統計にまつわる各資料を閲覧できます。



■ 外務省外交史料館所蔵 ■
 表 題:日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ
 経済的得失 昭和十一年十一月

 レファレンスコード:B02030010500
 外務省調査部が昭和11年(1936年)にまとめた研究報告書(未定稿)です。その概要は、日本の対外政策についての分析と批評で、「日清戦争以来の領土的膨張政策の成果」は「経済的見地からは全く御話にならぬ損をしている。」(原文カナ)と言及しています。
 資料中に、対外政策に関する経済的な収支を比較した箇所があります(4〜5画像目)。この点に関して、報告書は「新領土が日本に與えた経済的利益は何か」と切り出し、「五十八億円の費用を支出した者は一般納税者であり二十一萬の戦傷死者を出したのは忠実なる我が国民であり、この莫大な犠牲に依って二十億円の利潤を得たのは植民地貿易及び投資に関係する少数の商工業者であった」(原文カナ)と指摘しています。

 その説明をまとめると、以下の図表になります。
(億円)
《 対外政策における収入と支出 》
収  入 支  出
対植民地貿易*
植民地からの収益*
(最高)15.5
(最高) 5.0
日清戦争
日露戦争
シベリア出兵
植民地への補助金*
植民地維持のための
軍事費*
 2.7
20.0
 4.9
 7.6
23.0
総収入:+20.5億円 総支出:-58.2億円

〔注〕:"*"は、日清戦争期〜昭和9年(1934年)までの通算

(人)
《 戦争における死傷者数 》

日清戦争 日露戦争 シベリア出兵 満州事変
(昭和11年7月現在)
戦死者数 977 55,655 1,540 2,891
負傷者数 3,335 144,352 2,671 6,694



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■ 国立公文書館所蔵 ■
 表 題:明治三十六年度海軍臨時艦艇製造費概算及之ニ関聯ノ法律案ノ件

 レファレンスコード:A03023072700
 明治30年代〜40年代にかけての日本海軍の拡張を、予算面から分析した文書です。明治29年度(1896年度)から海軍を拡張してきましたが、明治36年度(1903年度)以降継続するためには、拡張費と経常費などを合せた海軍費が「総計壱億千四百九拾九円」必要であるとしています。
 また、その財源に、これまでは清国からの償金と公債を充ててきましたが、今後は「孰(いづ)れか他に適当の財源を求むる必要」(原文カナ)があり、明治32年度(1899年度)に増率した地租による収入をこれに充てることが適当であるとしています。
 資料中の21画像目の「海軍拡張費」によると、明治期後半における日本海軍の支出(製艦費+兵器費+陸上その他設備費+維持費+補充積立費)は以下の通りになります。
《明治35年現在海軍予算見込額》
年  度
明治37年(1904年)
明治38年(1905年)
明治39年(1906年)
明治40年(1907年)
明治41年(1908年)
明治42年(1909年)
明治43年(1910年)
明治44年(1911年)
明治45年(大正元年、1912年)
明治46年(大正2年、1913年)
 6,701,078
 8,547,230
 9,038,563
 10,970,137
 12,844,146
 12,301,352
 13,151,815
 14,713,708
 14,736,592
 9,307,330



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■ 防衛省防衛研究所所蔵 ■
 表 題:作戦用弾薬準備に関する件

 レファレンスコード:C02030391200
 
 日露戦争後の明治43年(1910年)に、陸軍省の戦時補給品調査委員会が作成した報告書です。報告書は、今後の戦争に使われる砲弾の推定量を「奉天会戦に於ける費消弾数の統計を基礎として」(原文カナ)試算しています。
 
 資料は、「奉天会戦の本戦は約二週間なりしも将来の戦役は三十七、八年戦役より層一層激烈にして会戦長時日に亘る」(原文カナ)という前提にたって、将来の戦いは3週間はかかると仮定し、その戦いではどれだけの量の弾薬が必要となるかを算出しています(20〜23画像目)。その内容は、以下の表の通りです。
《 日露戦争における銃砲弾の消費数および将来の予測 》
会 戦 小銃数
銃弾の消費 (発)
大砲数
砲弾の消費 (発)
小銃1丁
当たり
総消費数 大砲1門
当たり
総消費数

奉天の戦い
鴨緑江の戦い
摩天嶺の戦い
南山の戦い
得利寺の戦い
蓋平の戦い
大石橋の戦い
柝木城の戦い

189,632
28,800
28,800
28,000
28,000
37,600
37,600
19,200

113
38
56
83
46
14
8
21

21,269,358
1,097,693
1,597,988
2,332,728
1,273,895
527,058
306,513
399,346

744*
108
108
216
216
144
258
72

383*
44
60
162
76
14
88
93

285,051*
4,737
6,503
34,881
16,385
1,967
22,760
6,699

将来の会戦に
要する資材
(予測)

457,976

170**

77,855,920**
1,608***
600***
964,800***
〔注〕:"*"は、野砲のみ。"**"は、機関銃は含めない。"***"は、野砲・騎砲のみ。


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■ 国立公文書館所蔵 ■
 表 題:戦後財政整理に関する件

 レファレンスコード:A03023073700
 
 明治38年(1905年)9月、大蔵大臣曾禰荒助が桂首相に提出した、国債の償却に関する報告書です。報告書は、日本の公債の発行高が(将来の見込み高を加えると)約16億7300万円にも上ると述べており、その償却の計画は「国家の運命に関すへき問題にして戦後財政整理上火急の決定を要する」(原文カナ)と主張しています。
 資料中の16ページ目の説明によると、当時の日本の公債の状況は以下の表の通りです。  
 公債の償還については、明治41年(1908年)当時の大蔵大臣だった桂太郎が、「財政計画ノ大体方針ノ件」(レファレンスコード:A03023074800)の中で、「今に及て断然出入りを整頓し以て速に財政の基礎を確立するにあらすんは国家の進運方に不測の阻疑を蒙らんとす。」(原文カナ)と言及しています。
(円)
《 明治38年(1905年)における公債償還の計算 》
明治38年現在の公債発行高
それ以後に募集する見込み高
合 計
1,293,446,800
380,000,000
1,673,446,800
 資料は、この公債を平均した上での年5%の利子の「三十ヵ年元利済崩法」によれば、元金・利子は以下のようになると述べています。
元 金
利 子(総計)
合 計
1,673,446,800
1,592,356,617
3,265,803,477
 これに対して、明治38年度の日本の予算はこのような状態でした。
(アジア歴史資料センターの資料「御署名原本・明治三十八年・予算明治三十七年十二月三十一日・明治三十八年度歳入歳出総予算並同年度各特別会計歳入歳出予算」(レファレンスコード:A03020651000)より)
歳入総額
歳出総額
304,333,998
210,524,436


 ちなみに、平成16年における日本の財政状況は以下のようになっています。
一般会計における歳入予算の総額
一般会計における歳出予算の総額
国債及び借入金並びに政府保証債務現在高
821,109億円
825,145億円
7,031,478億円
(財務省ホームページ、< http://www.mof.go.jp/ > 中の「国庫歳入歳出状況」および「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」より。歳入予算・歳出予算は平成16年(2004年)4月末現在のデータ。国債及び借入金並びに政府保証債務現在高は平成16年(2004年)3月末現在のデータ。億円未満は四捨五入。)


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