公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
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 ●日米通商航海条約の廃棄
 日中戦争の勃発後、中国での日本の軍事行動が次第に拡大しました。その過程でパネー号事件等の、日本軍によるアメリカの在中国権益侵害事件が頻発するにともなって、アメリカ政府内部には対日経済制裁論が台頭してきました。アメリカ国務省内部では、昭和13年(1938年)春から夏にかけて具体的検討を行ないはじめましたが、その際、制裁手段への法的障害として、日米通商航海条約の存在が指摘されました。この条約の廃棄に関しては、この段階では賛否両論に分かれていました。
 しかし、昭和14年(1939年)4月9日、天津の海関(当時の中国において開港場に設けた税関のこと)の監督で「親日的」と見られていた程錫庚が暗殺され、その容疑者がイギリス租界に潜伏します。日本側は容疑者の引き渡しをイギリス側に要求しましたが、イギリス側はこれを拒否します。そこで、日本軍はイギリス租界を封鎖し、検問所でアメリカ人を除いて出入りの者全員を厳重に取り調べ、身体検査を行ないました。この事件に対しチェンバレン英首相は、議会において、忍びがたい侮辱だと言明しながらも、武力による解決には訴えませんでした。その後、日本とイギリスとの間に交渉が行われ、イギリス側はこの件に関して全面譲歩をせざるを得なくなります。
 アメリカは、この結果に非常に不満であり、日英両国の取り決めに影響を与えるべく、かねてから論議のあった日米通商航海条約廃棄を決定し、7月26日に通告を行ないました。その後、野村・グルー会談による新条約もしくは暫定協定締結の試みがありましたが、功を奏せず、昭和15年(1940年)1月26日、日米通商航海条約は失効を見るに至ります。
 このような日米通商航海条約廃棄をめぐる経緯に関しては、以下のような資料があります。

資料1:B02030751000 対米外交関係主要資料集 2(6画像)
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資料2:B04013619200 日本各国間通商関係条約及協定関係雑件(告示綴) 12.日米通商航海条約(2画像〜3画像)
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資料3:B02031425200 2 擬問擬答集 2(18画像〜20画像)
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資料4:B02031425300 3 擬問擬答集 3(1画像〜3画像)
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資料5:B02031426300 13 第七十五議会ニ於ケル外交関係質疑応答要旨 5 (7画像左〜8画像右)
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資料6:C04014771000 日米通商航海条約廃棄に関する件(1)
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資料7:C04014771100 日米通商航海条約廃棄に関する件(2)
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 資料1は、昭和14年(1939年)7月26日にセイヤー米国務次官補より須磨参事官に対して手交された日米通商航海条約廃棄の通告文です。ここに挙げた資料は英語で書かれていますが、その日本語訳は次の通りです。

(日本語訳)
最近数年来、アメリカ政府はアメリカと他国間に締結された有効なる通商航海条約に関し、右の条約の締結された目的をよりよく達成するためにはどのような変更が必要であるかを決定すべく検討を加えつつあった。以上の検討中にアメリカ政府は1911年(明治44年)2月21日ワシントンで調印された日米通商航海条約が新たなる考慮を必要とする条項を含んでいるとの結論に達した。このような新たなる考慮に対し途を開きかつ新たな事態の発生に即応しアメリカの権益を擁護し促進せしめるため、アメリカ政府は該条約第17条の規定に従い、ここに本条約の期限終結を希望する旨通告する。しかし、かかる通告がなされた以上条約および附属議定書とともに本日より6ヶ月以後に満期となるものと期待する。

 廃棄の手続きに法的な問題はありませんでしたが、日本側はそのような突然の措置を予想していなかっただけに驚きました。
 資料2は、官報に掲載された日米通商航海条約の廃棄に対する告示文です。
 資料3と4は、帝国議会の答弁のためにアメリカ局第一課が作成した資料です。例えば、アメリカが日米通商航海条約の廃棄を通告してきた意図は何か、政府は条約廃棄の通告を予期していたのか、日本政府はこの事態に対してどのような措置を講ずるのか、などの議会において想定される質問に対する回答が作成されています。
 資料5は、帝国議会における外交に関する質疑応答を記したものです。日米通商航海条約の廃棄をめぐる議会のやり取りがわかります。
 資料6と7は、日米通商航海条約廃棄に対する各国の新聞論調をまとめたものです。
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