公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
ホーム 日米交渉とは ダイジェスト 詳細年表 主要人物 用語解説 参考資料室 アンケート
参考資料室
トピックス
杉山メモなど
資料データ
参考文献
トピックス
 ●大本営政府連絡会議・大本営政府連絡懇談会
 日中戦争(支那事変)勃発後の昭和12年(1937年)11月20日に設置された大本営は、総理大臣の参加が認められていなかったので、軍隊を指揮する「統帥」と国の政治にかかわる「国務」との一致をはかる近衛文麿内閣総理大臣の要求を受けて、大本営と政府の主要メンバーの間で随時会談する協議体を作る申し合わせができ、最初の会議が同年11月24日に行われました。統帥と国務を調整し、戦争指導の一元化をはかるために設けられたこの会議は、大本営政府連絡会議と通称され、特に重要な場合は御前会議として行われることになっていました。
 連絡会議はその後平沼、阿部、米内の3内閣のあいだ中断していましたが、近衛文麿がふたたび首相に就任した第2次近衛文麿内閣成立直後の昭和15年(1940年)7月27日に2年ぶりに開かれました。
 また同年11月28日からはそれまでの連絡会議よりも「軽易に政府と統帥部との連絡懇談」を行なうことを目的とし、大本営政府連絡懇談会が開催されるようになりました。
 その後第3次近衛文麿内閣成立直後の昭和16年(1941年)7月21日からは連絡懇談会に代わり連絡会議が定期的に開かれることとなりました。太平洋戦争開戦の決定および戦争指導についての重要事項は、天皇臨席の連絡会議、すなわち御前会議で行われました。
 昭和19年(1944年)8月4日には、小磯国昭内閣は最高戦争指導会議の設置を決定しましたが、それは実質的に連絡会議を改称したものでした。
 連絡会議、連絡懇談会に関しては、以下のような資料があります。

資料1:B02030518500 2.支那事変処理ニ関スル重要決定/4 一、支那事変処理根本方針 2(3画像〜6画像)
「支那事変処理根本方針 昭和十三年一月十三日 御前会議決定」
画像資料
資料2:世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱 昭和一五、七、二七 連絡会議決定(『重要国策決定綴 巻一』 4画像左〜6画像右)
画像資料
資料3:連絡懇談会設置の趣意(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)9画像〜10画像右)
画像資料
資料4:七月二十一日第三十回連絡会議 近衛第三次内閣成立ニ伴フ初顔合ノ件(『大本営政府連絡会議議事録 其の一』(杉山メモ)176画像左〜180画像右)
画像資料
資料5:B02032960600 大東亜戦争開戦経緯(第二案) 2から大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議及御前会議に就て(素案)(34画像〜36画像)
「最高戦争指導会議ニ関スル件」
「今後ニ於ケル最高戦争指導会議ノ運用ニ関スル件」
画像資料
資料6:B02032960600 大東亜戦争開戦経緯(第二案) 2から大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議及御前会議に就て(素案)(37画像〜41画像)
「大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議及御前会議に就て(素案)」
画像資料

 資料1は、昭和13年(1938年)1月11日に行われた最初の御前会議で決定された「支那事変処理根本方針」です。
 資料2は、第2次近衛文麿内閣成立直後の昭和15年(1940年)7月27日に2年ぶりに開かれた連絡会議で決定された「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」です。
 資料3は、昭和15年(1940年)11月に作成された連絡懇談会設置の趣意です。
 資料4は、連絡会議の定期開催を定めた第3次近衛文麿内閣成立直後の昭和16年(1941年)7月21日の連絡会議の議事録です。
 資料5は、最高戦争指導会議の設置の決定と、その後の運用に関する決定です。
 資料6は、戦後に作成された連絡会議、最高戦争指導会議および御前会議についての整理の素案です。

前のページに戻る
All Rights Reserved,Copyright Japan Center for Asian Historical Records 2005.