 |
|
|
 |
|
 |
|
|
|
 |
 |
 |
 |
●陸軍・海軍のしくみ |
 |
 |
日米交渉当時の日本には、陸地での戦いを担当する陸軍と、海の上での戦いを担当する海軍がありました。日本の陸軍と海軍は、陸軍省・海軍省といわれる軍政機関と、参謀本部・軍令部といわれる軍令機関に分かれていました。戦争が起こった場合、参謀本部と軍令部は、大本営といわれる機関にまとまって、陸軍と海軍の指揮運用(統帥権)を担当しました。
|
 |
 |
当時の陸軍と海軍のしくみに関連して、以下のような資料があります。
資料1:A04017133200 単行書・軍人ヘ勅諭 |
 |
 |
 |
資料2:C04123783600 編成待命間の指揮隷属に関する件(2画像) |
 |
 |
 |
資料3:C05035377600 第1021号 11.3.4 「海軍の常識」印刷実費領布の件(3)(6〜19画像) |
 |
 |
 |
資料1は、明治15年(1882年)に明治天皇が陸軍・海軍の軍人に対して与えた訓告である、いわゆる「軍人勅諭」の写しです。資料中では「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある」と記されています。
資料2は、昭和16年(1941年)の陸軍における指揮の仕組みを図として表した資料です。図の中の「待命」とは、「命令を待つ」(待機)ということです。「直隷」とは、「直接の指揮下にある」ということです。「区処」とは、本来ならば部隊の指揮をとる権限のない組織や人物が、何らかの部隊の指揮をまかされている場合に使われた用語です。
資料3は、昭和11年(1936年)出版の『海軍の常識』(海軍省編)という書籍の抜粋です。この中の「第七章 海軍組織概要」で、当時の日本海軍の組織や管区について言及しています。
|
 |
|前のページに戻る| |
|
|
 |
 |
|
 |
|
 |
|
 |
All Rights Reserved,Copyright Japan Center for Asian Historical Records 2005. |
 |
|
|
|