公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
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日米交渉の記録

 日米交渉に関する記録は、外務省外交史料館防衛庁防衛研究所図書室国立公文書館にそれぞれ保管されています。以下、その概要を所蔵元別に説明します。


外務省外交史料館所蔵資料

防衛庁防衛研究所所蔵資料
  

外務省外交史料館所蔵 日本外務省記録 昭和戦前期

○A門(政治、外交)/1類(帝国外交)/3項(対諸外国)/1目(北米合衆国)/1号(日、米外交関係雑纂)

 太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)4月から12月にかけて行われた「日米交渉」に関する日本側の記録は、外務省外交史料館所蔵の『日、米外交関係雑纂/太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係』の全21冊の簿冊が中心です。各簿冊の内容の概略は以下の通りです。

●A.1.3.1.1-3
『日、米外交関係雑纂/太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係(「近衛首相メッセージ」ヲ含ム)』 全19冊

(1)第1〜6巻、「日付順」
 昭和16年(1941年)1月22日の野村吉三郎駐アメリカ大使赴任に際して手交された松岡洋右外務大臣の訓令から太平洋戦争開戦までの、交渉関係の往来電などの文書を収録したもので、『日米外交文書 日米交渉−一九四一年−』の編纂の際にベースとなった記録ですが、必ずしも交渉関係の全ての電報類が収録されているわけではありません。

(2)第7〜10巻、「交渉経過」
 太平洋戦争終戦当時に日米交渉関係のファイルは焼却されましたが、その当時、外務省の担当課が保管していた関係文書を記録班が引き継ぎました。その後、極東国際軍事裁判(所謂、東京裁判)検察団(IPS)に全てを接収されましたが、記録班がGHQのATIS(翻訳通訳部)を通じ、IPSに返還要求書を提出したところ、昭和24年(1949年)12月10日、連合軍側で撮影した写真版と一部原書が返還されました。さらに、昭和25年(1950年)2月1日、約半数の原書が返却されたので、先の一部原書と2回目の原書を合わせ編纂されたものです。よって、全ての関係文書を網羅したものではありません(第7巻冒頭の「注意」の記述に依る(レファレンスコード:B02030724300))。
 しかし、IPSより返却された文書はこれだけではなく、前記「日付順」にも収録されています。
 この簿冊群には、交渉の特に重要な文書が日付順にファイルされており、タイプ文書、手書き文書、英文タイプ文書など様々な形態のものが収録されています。

(3)第11〜14巻、「参考資料」
 日米交渉関係の外務省作成の調書ファイルです。この中には、交渉期間中に内部資料として作成された「経過概要」と、昭和21年(1946年)2月28日、外務省外交史料編纂委員会の「外交資料 日米交渉経緯ノ部」、「同盟通信未発表電報(8〜10月)」などが収録されています。

(4)第15巻、「輿論並新聞論調」
 スラバヤ、バタビヤなどの日米交渉に関する新聞論調報告と、外務調査部第五課編「日米交渉ニ関スル外紙論調」が収録されています。

(5)第16巻、「電信写」
 「日付順」ファイル所収の交渉関係往来電報のうち7月から12月までのもの「写」のファイルです。

(6)第17巻、外交資料「日米交渉記録ノ部」(近衛内閣時代)原稿、外交資料「日米交渉記録ノ部」(東条内閣時代)原稿
 昭和21年(1946年)2月28日付の外務省編纂の「日米交渉 記録ノ部」の原稿です。これは、昭和53年(1978年)2月10日、外務省編纂、細谷千博解題『日米交渉資料』として原書房から公刊されています。

(7)第18、19巻、調書「日米交渉経緯」上下巻
 昭和17年(1942年)7月付外務省編纂調書です。これは、昭和53年(1978年)2月10日、外務省編纂、細谷千博解題『日米交渉資料』として原書房から公刊されています。

●A.1.3.1.1-3-1
『日、米外交関係雑纂/太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係/駐米任務報告(野村吉三郎・来栖三郎)』 全1冊
 昭和17年(1942年)8月20日付、野村大使の「駐米任務報告」と、昭和17年(1942年)6月5日付、来栖大使の「来栖大使報告」が収録されています。

●A.1.3.1.1-3-2 
『日、米外交関係雑纂/太平洋ノ平和並東亜問題ニ関スル日米交渉関係/「特殊情報」綴』 全1冊
 日本が傍受した、駐日アメリカ、イギリスなど各国大使と本国との電報や、重慶国民政府とその在外公館間の電報などが収録されています。

●A.1.3.1.1-4
『日、米外交関係雑纂/「対米外交関係主要資料集」』 全2冊
 亜米利加局第1課作成の日米外交関係についての資料集で、昭和12年(1937年)7月から、昭和16年(1941年)8月までの日米間の主要な公文、演説、声明などを集めたものです。

●A.1.3.1.1-8
『日、米外交関係雑纂/硯滴筆洗』 全1冊
 昭和19年(1944年)10月4日付、朝日五十四領事作成の昭和14年(1939年)8月21日から昭和16年(1941年)12月8日までの日米交渉関係年代記です。

○A門(政治、外交)/7類(帝国外交)/0項/0目/9号(大東亜戦争関係一件)

●A.7.0.0.9
『大東亜戦争関係一件』 全1冊
 太平洋戦争開戦から戦時中の各種文書が収録されています。太平洋戦争開戦に至る経過をまとめた、「日米開戦直前ノ経過ト若干ノ観察」はこの簿冊に入っています。

●A.7.0.0.9-2
『大東亜戦争関係一件/日、仏印共同防衛協定及コレニ基ク帝国軍隊ノ仏印進駐関係』 全3冊
 昭和16年(1941年)7月に実行された南部仏領インドシナ進駐に関する、ヴィシー政府と日本との交渉などの各種文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-2-1
『大東亜戦争関係一件/日、仏印共同防衛協定及コレニ基ク帝国軍隊ノ仏印進駐関係/反響(輿論並新聞論調)』 全1冊
 南部仏領インドシナ進駐に対する、東南アジアを中心とした諸外国の反響に関する文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-2-2
『大東亜戦争関係一件/日、仏印共同防衛協定及コレニ基ク帝国軍隊ノ仏印進駐関係/進駐軍事費問題』 全1冊
 南部仏領インドシナ進駐に際しての、日本とヴィシー政府間の軍事費についての協定に関する文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-2-3
『大東亜戦争関係一件/日、仏印共同防衛協定及コレニ基ク帝国軍隊ノ仏印進駐関係/日、仏印軍事協定』 全1冊
 南部仏領インドシナ進駐に際しての、日本と仏領インドシナ当局間の現地協定に関する文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-5
『大東亜戦争関係一件/各国ノ態度/「ロバート」報告』 全1冊
 1941年(昭和16年)12月18日、ルーズヴェルト米大統領は、アメリカ合衆国連邦最高裁判所判事のオーウェン・J・ロバーツ(Owen Josephus Roberts)を中心に専門の委員会(いわゆる「ロバーツ委員会」(Roberts Commission))を発足させ、真珠湾攻撃についての事後調査と評価を行わせました。この簿冊には、その報告書の日本語訳が収録されています。

●A.7.0.0.9-49
『大東亜戦争関係一件/開戦ニ直接関係アル重要国策決定書(第二次近衛内閣ヨリ開戦マデ)』 全2冊
 御前会議や大本営政府連絡会議で決定された、太平洋戦争開戦にいたる日本の国策に関する文書と、その「決定経緯概説」などが収録されています。

●A.7.0.0.9-50
『大東亜戦争関係一件/戦争準備資料』 全1冊
 太平洋戦争開戦にいたった場合の日本国内外の情勢判断に関する各種文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-51
『大東亜戦争関係一件/開戦関係重要事項集』 全1冊
 戦争終結構想や占領地行政など、開戦後に採るべき様々な処置に関する決定文書が収録されています。

●A.7.0.0.9-63
『大東亜戦争関係一件/館長符号扱来電綴』 全6冊
 太平洋戦争開戦直前から戦時中にいたる時期に各在外公館から外務本省に送られた、「館長符号扱」電報が収録されています。日米交渉に関係する在米公館からの電報は、第1巻から第3巻に収録されています。

○M門(官制、官職)/1項(任免、賞罰、恩給其他)/0目/13号(各国駐箚大公使任免関係雑纂)

●M.2.1.0.13-6
『各国駐箚帝国大公使任免関係雑纂/米国ノ部』 全1冊
 駐アメリカ大使の任免に関する文書が収録されています。野村大使がアメリカ赴任した際にルーズヴェルト米大統領に捧呈した信任状の写しや、その際の会談に関する報告書などが含まれています。


防衛庁防衛研究所図書館所蔵

 太平洋戦争開戦の1年ほど前から、大本営陸軍部の諸組織が作成、記述した、大本営陸軍部戦争指導班関係の重要資料は、以下の5種類に分類、保管されていたと言われています。

 (1)機密戦争日誌(「昭和日記 甲」)
 (2)大本営政府連絡会議議事録(「昭和日記 乙」)
 (3)重要国策決定綴(「昭和日記 丙」)
 (4)御前会議議事録(「昭和日記 丁」)
 (5)その他(「御下問奉答綴」ほか)

 これら5種類の資料は、陸軍省、参謀本部のその他の機密書類とともに終戦直前に焼却されたものとされ、極東国際軍事裁判でも、そのように証言されました。しかし、終戦に際して、陸軍省軍務課庶務担当将校の中根吾一少尉が、高級課員山田成利大佐の許可を得て搬出し、自宅近くの地下にドラム缶入れて埋め、保管しました。昭和20年(1945年)末、山田元大佐の申し出により、元戦争指導班員の原四郎元大佐がこれらの資料の保管を受け継ぎ、原はGHQの追求を逃れるために、原本の表紙を焼却し、上記のように「昭和日記 甲」などの表題をつけ改装して保管しました。
 その後、昭和21年(1946年)12月、復員省史実調査部が創設され、調査員がそれぞれ担当年代に応じて分割保存しました。昭和28年(1953年)4月、服部卓四郎元大佐が主催する史実研究所が創設されると、これらの資料は同研究所が一括して保存し、服部卓四郎『大東亜戦争全史』(鱒書房、1953、再刊:原書房、1971)の執筆に利用されました。その後、服部の死に伴い、資料の全てが防衛庁戦史室(現:防衛庁防衛研究所図書室)に移管され、保存、公開されています。
 本特別展においては、これらの資料のうち、『機密戦争日誌』、『大本営政府連絡会議審議録』の日米交渉に関連する部分を撮影し、使用しました。

○中央/戦争指導重要国策文書1131
参謀本部第二十班(第十五課)『大本営政府連絡会議議事録 四冊中其の二 自昭和十五年十一月二十八日 至昭和十六年七月二十九日』防衛研修所戦史室
○中央/戦争指導重要国策文書1171
参謀本部第二十班(第十五課)『大本営政府連絡会議議事録 四冊中其の三 自昭和十五年八月一日 至昭和十六年十二月二十四日』防衛研修所戦史室

 いわゆる「杉山メモ」です。杉山元元帥陸軍大将が、彼の陸軍参謀総長時代(昭和15年(1940年)10月3日〜昭和19年(1944年)2月21日)に行われた、御前会議と大本営政府連絡会議の議事を大本営陸軍部戦争指導班(第20班)長に伝達、筆記させ、点検しました。そして、戦争指導班長が所要の加筆、訂正を行ったのちに杉山が、花押或いは捺印し、保管していたものです。ただし、この原本は存在せず、現存しているものは写しであるとされています。御前会議、連絡会議の記録はこれ以外に存在していないとされていますので、この「メモ」は議事の状況を追うための重要資料です。本特別展においては、全4冊のうち、太平洋戦争開戦にいたるまでの、「四冊中其の一」、「四冊中其の二」の2冊を使用しました。


○中央/戦争指導重要国策文書1128
参謀本部第二十班(第十五課)『機密戦争日誌 其 ノ三 自昭和十六年四月十八日 至昭和十六年十二月七日』防衛研修所戦史室

 大本営陸軍部戦争指導班(第20班)の班員(参謀)が、日常の業務を交替で記述した業務日誌です。記述の期間は昭和15年(1940年)6月1日から昭和20年(1945年)8月1日までで、担当したのは、種村佐孝、原四郎、野尻徳雄、田中啓二、甲谷悦雄、橋本正勝の6名の参謀です。
 この『機密戦争日誌』は業務日誌ですので、執筆担当者の個人的見解や感情などがむきだしに記述されている箇所も少なくないですが、これに相当する大本営と政府の戦争指導の基本方針の決定経緯を示した記録は、政府、海軍ともにないと言われています。本特別展においては、日米交渉が行われた時期に相当する「其ノ三」を使用しました。


国立公文書館所蔵

○公文書/内閣・総理府/太政官・内閣関係/御署名原本(昭和22年5月2日以前)/昭和十六年/詔書

●『米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一 二月八日』
 御署名原本とは、憲法、詔書、法律、条約、勅令、政令等の天皇の御名、御璽のある公布原本です。この簿冊は、アメリカ、イギリスに対し宣戦布告をおこなった詔書を収めたものです。

○公文書/内閣・総理府/太政官・内閣関係

●『第一類 公文別録・親任官任免・明治二十二年〜昭和二十二年』第八巻・昭和十三年〜昭和十五年
●『第一類 公文別録・親任官任免・明治二十二年〜昭和二十二年』第九巻・昭和十六年〜昭和十八年
 公文別録とは、明治元年(1868年)から昭和22年(1947年)までの重要な機密事項や事件等の記録類を省庁別、年代別あるいは事件単位に編集したものです「親任官任免」の簿冊群には、親任官の任免状が収録されており(親任官とは、旧制の高等官の最上位で天皇が任命状に自ら署名し任命した官で、内閣総理大臣、各省大臣、各国駐在の大使、公使などがこれにあたります)、これらの簿冊には、昭和13年(1938年)から昭和18年(1943年)までの任免状が収録されており、第二次近衛内閣と東条内閣の閣僚や、野村大使のものなどが含まれています。

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