アジ歴ニューズレター第34号

2021年3月31日 発行

特集 アジ歴との出会い

特集 アジ歴との出会い
 アジア歴史資料センター(以下,アジ歴)は今年で設立20周年を迎える。私とアジ歴との縁は2003年に始まるから,利用者としてもはや古参と言えるかもしれない。
 1999年アメリカで研修していた私は,中国出身で戊戌変法運動の研究者として世界的に名を知られる旧知の孔祥吉(こう・しょうきつ,ハーバード大学研究員)さんから共同研究の提案を受けた。日本は近代中国の亡命先・留学先で,中国人の活動に関する未公開・未利用の資料がたくさんあるから,二人で中国側資料と突き合わせて検討し,日中関係史研究を深化させようという話だった。
 一も二もなくこれに賛同した私は,孔さんを東京大学の客員教授として長期招聘し,大学院生向けのセミナーを開講することにした。2003年のことである。白金台にある東大インターナショナル・ロッジに投宿した孔さんを連れて,真っ先に向かったのが,飯倉の外務省外交史料館だった。滞日中の1年間孔さんは,開館日は毎日と言っていいほど,ここに通い詰めた。アジ歴でデジタル資料の公開が本格的に始動していた頃である。おりよく教え子がアジ歴でアルバイトをしていた関係もあって,学生十数名を連れて平河町のビルの一室にあったオフィスを訪問したのは,5月だったか6月だったか。
 出迎えてくれたのは,アジ歴主任研究員の故・牟田昌平さんである。大歓迎の彼はアジ歴成立の経緯から,事業の内容,デジタル化の計画など懇切に説明してくれた。(2回目の訪問時だったと思うが,ハル・ノートの一部を画面に示しながら,日米開戦の経緯に関するミニ講義もあった。)明治・大正期の外交文書に押されている「MT」の文字が時に天地さかさまになっているのは,文書を接収した占領軍担当官が日本語に疎かったためだろう,といったエビソードも交えた牟田さんの話はとても面白かった。
 まとめに,アジ歴の事業では近代日本の負の歴史もいとわず,外交・政治・軍事に関係するあらゆる資料を隠さず公開してゆくつもりだと語った牟田さんの姿は,孔さんや留学生にたいへん強い印象を与えたようだ。(同じ印象は,中国社会科学院近代史研究所所長で,「日中歴史共同研究」で中国側座長を務めた故・歩兵(ほ・へい)さんからも直説聞いたことがある。)学生への教育効果がとても高かったので,孔さんがアメリカに戻った翌年も,学生を連れて牟田さんの話を聞きに行ったが,それが彼との最後の顔合わせになってしまった。
 さて,孔さんとの共同研究は予想以上に順調に進み,共著の中国語論集2冊(『罕為人知的中日結盟及其他:清末中日関係史新探』,『従東瀛皇居到紫禁城:晩清中日関係史上的重要人物与事件』)と日本語論集1冊(『清末中国と日本:宮廷・変法・革命』)に結実した。ほかにも,副産物は多いが,みな外交史料館とアジ歴のたまものである。
 中でも特筆したいのは,明治期の外交文書から「新聞雑誌操縦関係雑纂/国聞報(在天津漢字新聞)」(レファレンスコードB03040605800/B03040605900/B03040606000)の簿冊を見つけ出し,『国聞報』という天津で出されていた有力日刊紙の本格的な研究を行ったことである。19世紀末,日本が中国での世論操作(宣伝戦)のため買収した『国聞報』経営の舞台裏を明かす資料は中国にもなく,我々の研究は中国の学界で大いに注目された。うれしいことに,これが機縁となって,2人による長文の解説と外務省文書(全文収録)を付して,『国聞報』の影印版が中国で出版された(孔祥吉・村田雄二郎整理『国聞報(外二種)』全10冊,北京:中国国家図書館出版社,2013年)。刊行に際しては,出版元や孔さんとのメールを介しての面倒なやりとりがいろいろあり,中国側の事情で刊行も随分遅れることになったが,アジ歴のおかげで簿冊の画像データを随時共有できたのはほんとうに助かった。私にとって,歴史研究におけるデジタル・アーカイブの価値を実感する最初の経験となったことはまちがいない。



外務省外交史料館所蔵の簿冊と影印版の『国聞報』



 孔さんとの共同研究が一段落を告げた2010年前後になると,中国の大学の懐具合も大分豊かになり,請われて集中講義や講演会を行う機会が増えていった。近代日中関係史を主題とする私の話の定番は,孔さんとの共同研究で発掘したアジ歴の資料の紹介である。でかけた先で,話のまくらとして,村山内閣の「平和友好交流計画」に始まるアジ歴設立の経緯を紹介するのも定例となっている。
 率直に言えば,中国の学生や市民を前に日中関係の近代史を語るのは,精神的にかなりしんどい仕事である。侵略した側の国民という立ち位置から,倫理的にはどうしても「受け身」の立場におかれざるをえないからである。そうした中国との交流において,アジ歴の存在は上の牟田さんの語りかけにあるように,私の中ではすこしだけ倫理的バランス感覚を補正する役割を果たしてくれている。他の人は知らない。少なくとも私にとって,アジ歴は近隣諸国との「心」の交流をすすめる上で,ますます重要な「場」となっていくだろう。
 その後も,前任校ではときおり学生向けに,アジ歴講習会を開いてきた。昨年はコロナ禍により,現任校の同志社大学での開催はかなわなかったが,秋には他大学の学生にも開いたウェブ上の講習会を開催し,学部生から博士課程学生まで30名以上の学生が参加した。留学生の中にはアジ歴を初めて知るという学生も多く,今後の発信強化の必要も痛感した次第である。

<同志社大学 村田 雄二郎>