アジ歴ニューズレター第33号

2021年1月20日 発行

特集 「スペイン・インフルエンザ」の記録―アジ歴資料にみる世界的な感染症の経験―

特集 「スペイン・インフルエンザ」の記録―アジ歴資料にみる世界的な感染症の経験―
 現在、全世界での新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が止まりません。日本では32万人以上の感染者に4千人を超える死亡者が、世界では9300万人以上の感染者に200万人を超える死亡者が出ています(2021年1月17日現在、厚生労働省・WHO発表による)。繰り返される感染の拡大に対して、ワクチンの開発や配付もいまだ途上段階であり、まさしく先行きの見えない時代に私たちは生きています。この目に見えない感染症と人類との戦いは有史以来、繰り返されてきました。その結果、私たちは感染症の正体を探り、どのように対処すべきかを学んできました。代表的な全世界的な感染症としては17世紀中頃のペスト、そして20世紀初頭のスペイン・インフルエンザが挙げられるでしょう。特にスペイン・インフルエンザは今回の新型コロナウイルス同様、ウイルスによる感染であり、人の移動に端を発する感染拡大ということから注目を浴びています。そこで本稿では、このスペイン・インフルエンザを知るために、当時の状況を記すアジ歴資料をいくつか紹介したいと思います。

 スペイン・インフルエンザは「スペイン風邪」などとも呼ばれますが、ウイルスによる感染症であり、冬季に流行する季節性インフルエンザに対して、季節に関係なく流行する新型インフルエンザの一種です。1918年3月頃から1920年頃まで全世界で流行しました。発生地は諸説ありますが、流行の兆しはアメリカのカンザス州でみられ、軍隊や刑務所、工場などでの集団感染が多発するようになります。当時は第一次世界大戦の渦中にあり、若い兵士がアメリカからヨーロッパに向かいました。その移動に伴い、このインフルエンザも付随して運ばれ、ヨーロッパ、そしてアフリカ、アジア、南米と拡大し、パンデミックに至りました。戦時下、各国は情報統制を敷いており、各地のインフルエンザ蔓延は秘匿されましたが、中立国であったスペインでは情報の統制がなされず、感染拡大が集中的に取り上げられ、スペインの名を冠することになってしまいました。

 日本ではインフルエンザを示す「流行性感冒」とよばれ、当時はスペインの名は記されてはいません。日本での感染の状況は国内の衛生行政を担当していた内務省衛生局によって詳細な報告書が作成され、1922年に刊行された『流行性感冒』によって知ることができます(2008年に復刻版が刊行されました)。日本国内外の感染状況や対応策などが記され、目に見えない感染症に立ち向かった当時の人々の行動や意識を具体的に知ることができます。しかし、復刻版の解説を記した西村秀一氏が指摘するように、各地の統計の厳密性や軍隊での流行に関する記述の欠如など、限界もあります。軍隊での流行は軍事機密として公開されなかったのでしょう。

 軍隊での流行については、日本でのスペイン・インフルエンザの流行を専門的に扱った速水融氏の研究に詳しく載せられています。速水氏が著書で取り上げた軍艦「矢矧」での艦内感染の状況は「軍艦矢矧流行性感冒に関する報告」(Ref: C10080416900)【画像1】(1、2画像目)に克明に記されています。1918年11月、シンガポールに碇泊の後、艦内で発生したインフルエンザは瞬く間に艦内に広がり、乗組員の大半が罹患し、死亡者も続出しました。その様子を報告書では「艦内至ル所患者転顛シ呻吟苦悩ノ声ヲ聞クモ又如何トモスル能ハズ慘憺タル光景ヲ呈セリ」(5画像目)【画像2】と報告しています。同時期に「最上」でも同様の感染があったことが、「最上ハ乗員ノ殆全部今回ノ流行病ニ罹リ」(Ref:C10081243200、1画像目)という記述から知ることができます。呉の病院からの報告には「軍艦伊吹ニ流行性感冒ヲ発生(中略)次テ千歳ニ八十六名其ノ他摂津、浅間、石見、矢矧等ニ各十数名ノ同病患者ヲ発生シ…」(Ref:C08021414000、3画像目)とあり、感染拡大の様子を知ることができます。陸軍での感染状況を示す史料として「大正七年水戸衛戍地陸軍諸部隊流行性感冒流行記事」(Ref:C13120713900)が知られており、また、「流行性感冒患者発生の件」(Ref: C03024983800)【画像3】(2画像目)などでは捕虜收容所での罹患者・死者の発生が報告されています。なお、陸軍の流行性感冒への対応は防衛省防衛研究所の「大正のスペイン風邪パンデミックと帝国陸軍」に解説がありますので、あわせてご参照ください。

【画像1】「軍艦矢矧流行性感冒に関する報告」(Ref: C10080416900)
【画像2】「軍艦矢矧流行性感冒に関する報告」(Ref: C10080416900)(5画像目)
【画像3】「流行性感冒患者発生の件」(Ref: C03024983800)
 世界各地の感染状況について、外務省は各国の在外公館の領事を通じて情報収集をしており、「済南ニ於ケル流行性感冒ニ関スル件」(Ref:B12082332200)【画像4】では再流行の様子が伝えられています。「ホノルルニ於ケル流行性感冒ニ関スル件」(Ref:B12082333700)など、世界各地からの報告が集積されており、なかには留学生の死亡を伝える記事「留学生中村雅治郎死亡ニ関スル件」(Ref:B16080844000)もあります。

【画像4】「済南ニ於ケル流行性感冒ニ関スル件」(Ref: B12082332200)
 また、国内の動きを示すものとして、「流行性感冒治療諸費ヲ国庫剰余金ヨリ支出ス」(Ref: A13100373500)【画像5】という記事では、急増する流行性感冒患者の治療費や看護人の経費のため、第二予備金を使い切ったため、国庫剰余金から支出することが裁可されています。国会では「流行性感冒症予防法の徹底的研究に関する建議」(Ref: A14080185800)として、「徹底的予防法ヲ実施スル」ために衆議院で決議がされました。

 
【画像5】「流行性感冒治療諸費ヲ国庫剰余金ヨリ支出ス」(Ref: A13100373500)
 当時の社会情勢―生の声―はメディアによる報道をみることが必要です。速水氏も日本各地の新聞を博搜して当時の感染状況を検証しました。アジ歴ではスタンフォード大学フーヴァー研究所所蔵の『日米新聞』(在米日本人が発行していた邦字新聞。1899年創刊、サンフランシスコを拠点とした)を検索することができます。たとえば、「米軍営内感冒流行」『日米新聞1918年9月22日』(Ref: J20010452800)【画像6】、「東京市内流行性感冒猛烈」(Ref: J20010536900)というように、世界各地の感染拡大の状況を知ることができます。なかには「切花需要激増 流行感冒発生で 葬式用やら見舞用やらで」『日米新聞1918年11月1日』(Ref: 20010454600)、「アラスカ土人殆んど滅亡 西班牙感冒の為め」『日米新聞1919年9月10日』(Ref: J20010516000)という現地の生々しい状況も伝えられています。また、「魔の病 西班牙流行感冒 近く西部地方にも蔓延の恐れ有りと」『日米新聞1918年9月23日』(Ref: J20010453000)というように、アメリカではあるときを境に流行性感冒に「スペイン」の名を冠するようになることも見て取れます。2年後も「油断は絶対に禁物 再襲の西班牙感冒 桑港にも新患者数益々増加」『日米新聞1920年2月1日』(Ref: J20010543900)との記事があり、依然として感染が続いていたことが知られます。

【画像6】「米軍営内感冒流行」『日米新聞1918年9月22日』(Ref: J20010452800、提供:邦字新聞デジタル・コレクション、フーヴァー研究所ライブラリー&アーカイブス)
 スペイン・インフルエンザは地球規模で猛威をふるい、世界全体で数千万人、日本国内だけでも50万人近くが死亡したといわれています。100年前に起きたパンデミックですが、私たちはその様子や当時の感染対策、そしてどのように終息していったのかを歴史資料から知ることができます。たとえば、過去の事象から学べることとして、十七世紀のロンドンでのペストの感染拡大と終息をルポタージュ風に描いたデフォーの『ペストの記憶』が参考になるでしょう。デフォーは「人びとのあいだで感染がどう広まったのか、後世の参考となるようにより詳しく述べておきたい。実は、ペストが健康な人たちにこれだけ急速に広まったのは、病気の人たちのせいばかりではなく、元気な人たちのせいでもあった」と記します。つまり、疫病流行時に蔓延が防げないのは無症状者による無意識の拡散があるということを後世に伝えようとしておりました。現在も問題になっていることがすでに紹介されているのです。

 私たちは過去のできごとを読みものとして終わらせるのではなく、貴重な事例として謙虚に向き合うことが必要なのではないでしょうか。先人の残した記録を読むことで、現在の困難にどう立ち向かうべきか、考えることができると思います。アジ歴ではその材料を提供しています。


【参考文献】
アルフレッド・W・クロスビー/西村秀一訳『史上最悪のインフルエンザ―忘れられたパンデミック―』(みすず書房、2009年、原著1976年)。
速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争―』藤原書店、2006年)。
内務省衛生局編『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』(平凡社〈東洋文庫〉、2008年、原書『流行性感冒』1922年刊行)。
ダニエル・デフォー/武田将明訳『ペストの記憶』(研究社、2017年、原著1722年)。

<アジア歴史資料センター調査員 河野保博>