明治28年(1895年) 4月17日

日清講和条約(下関条約)締結

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  • 各国欽差会同李傅相議和図
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【清国】
「各国欽差会同李傅相議和図」

タイトル: 【清国】「各国欽差会同李傅相議和図」
大英図書館請求記号: 16126.d.2(14)
明治28年(1895年)4月17日、日本の全権委員である全権弁理大臣の伊藤博文(内閣総理大臣)及び陸奥宗光(外務大臣)と、清国の全権委員である欽差頭等全権大臣の李鴻章(北洋通商大臣兼直隷総督)及び欽差全権大臣の李経方(元駐日本公使)との間で講和条約への調印が行われ、日清戦争は終結しました。しかし、台湾での戦闘はこれ以降も続くこととなります。ここでは講和の様子が描かれていますが、伊藤博文と李鴻章の前で、3月24日に李を銃撃した小山豊太郎(六之助)が跪いており、また、会議の場に朝鮮、アメリカ、イギリスなどの各国の代表も出席しているなど、実際の日清講和会議の様子とは異なると思われます。
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[大英図書館請求記号:16126.d.2(14)]
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関連公文書

  • レファレンスコード: B13090893700 件名: 調印書(附属地図あり)
  • 日清講和条約(下関条約)の締結に際して実際に調印が行われた原本で、1画像目の表紙には「明治二十七、八年戦役 日清媾和条約」という日本側での正式名称が記されています。3画像目からが日本語、18画像目からが中国語による条約全文です。39画像目から40画像目には、この条約の第2条によって、日本がその土地の主権と城塁、兵器製造所、官有物を有すると定められた、遼東半島一帯の領域の境界線を示した地図があります。
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  • レファレンスコード: B06150070400 件名: 李鴻章遭難
  • 明治28年(1895年)3月24日に発生した、清国の李鴻章全権大臣が第3回講和会議後に宿泊先の引接寺に帰る途上で小山豊太郎(六之助)という人物の銃撃を受けて負傷するという事件に関する記録のまとめです。2画像目には、事件の発生を全権委員であった陸奥宗光外務大臣が林董外務次官に知らせた電文があり、李が眼下の顴骨(頬骨)を負傷したことや、伊藤博文全権弁理大臣と陸奥がすぐに李を見舞ったことなどが伝えられています。その他、李の状態や各所からの見舞を伝える報告に加えて、この事件に対する各国の感情を考慮し、清国側の希望に応じて休戦条約を先行して締結すべきという日本側の議論の様子がわかる文書などが含まれています。
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  • レファレンスコード: B06150073300 件名: 分割2
  • 講和会議の記録の後半部分です。94画像目からが講和条約が締結された4月17日の第7回会議の内容です。その他、2画像目からが4月10日の第5回会議、37画像目からが4月15日の第6回会議となっています。いずれも発言者と発言内容が詳しく記されており、交渉の様子をうかがうことができます。
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