昭和19年(1944年)7月22日、小磯国昭内閣が成立しました。
 昭和16年(1941年)10月18日に成立した東条英機内閣は、昭和19年(1944年)7月7日のサイパン島の日本軍守備隊の全滅などの責任を取り、7月22日に総辞職します。その同じ日に、小磯国昭朝鮮総督・陸軍大将を首班とする小磯国昭内閣が成立しました。

  • 資料1は、内閣総理大臣に就任した小磯国昭大将の所信を掲載した、昭和19年(1944年)8月2日付の『写真週報』332号です。この号では、表紙に小磯国昭総理大臣の顔写真が、また2画像目の記事「小磯・米内協力内閣発足す」には小磯内閣閣僚の集合写真が掲載されています。
  • 資料2は、小磯大将が内閣総理大臣に任命された際の公文別録です。
  • 資料3は、昭和19年(1944年)8月14日付の公文別録である「昭和十九年度国民動員計画策定ニ関スル件」です。この資料には、広瀬久忠厚生大臣・藤原銀次郎軍需大臣から小磯総理大臣に宛てた文書が含まれています。資料の3画像目には、「昭和十九年度国民動員計画」は「決戦ノ現段階ニ即応シ戦時生産ノ急速ナル増強ヲ図ル為」に「之ヲ策定ス」ということが記されています。






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