昭和19年(1944年)7月7日、マリアナ諸島をめぐる日本軍と米軍との戦いによって、サイパン島の日本軍守備隊は全滅しました。
 かつて、サイパン島をはじめとするマリアナ諸島は、大正9年(1920年)の国際連盟規約により、日本の委任統治領となっていました。昭和16年(1941年)にいわゆる太平洋戦争が始まった後、昭和19年(1944年)6月15日に米軍はサイパン島に上陸しました。6月19日、日本海軍と米海軍とはマリアナ諸島の周辺で戦い(マリアナ沖海戦)、日本海軍は損害を受けて撤退しました。

  • 資料1は、マリアナ諸島の状況についての記事が掲載された、昭和19年(1944年)7月26日付の『写真週報』330・331合併号です。2画像目の記事「サイパン島戦闘経過」は、サイパン島守備の指揮をとっていた齋藤義次陸軍中将・辻村武久海軍少将・南雲忠一海軍中将の写真を紹介しつつ、「サイパン島のわが部隊」は7月の「十六日までに全員壮烈なる戦死を遂げたものと認む」と伝えています。
  • 資料2は、海上護衛総司令部が作成した、昭和20年(1945年)7月15日付の「「マリアナ」所在B29ニ就キテ(改訂)」です。この資料は、当時のマリアナ諸島に配備された米軍の飛行機や飛行場などに関する情報を報告しています。






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