昭和19年(1944年)6月19日、マリアナ沖海戦が行われました。
米軍は、昭和19年(1944年)6月15日、日本軍が守備していたマリアナ諸島のサイパン島に上陸を開始しました。そして6月19日、日本艦隊と米艦隊は、マリアナ諸島周辺において戦い、日本艦隊は多くの航空機と3隻の空母を失って撤退しました。このマリアナ沖海戦によって、日本は「絶対国防圏」(日本が、戦争に勝つために絶対確保すべきだと見なした重要な地域のこと)の一角を失い、以後の太平洋での戦いにおいて劣勢にたたされます。
資料1は、マリアナ沖海戦についての記事が掲載された、昭和19年(1944年)7月20日付の『写真週報』329号です。2画像目の記事「内南洋にZ旗 サイパン激闘続く」は、大本営海軍報道部による「サイパン島を中心とする中部太平洋方面の戦闘」に関する発表を伝えています。
資料2は、外務省政務局第6課が作成した、昭和19年(1944年)7月8日付の極秘文書『米国政治査報』第23号の「第四部 軍事関係」です。この資料は、太平洋の戦局についてのアメリカのラジオ放送や各新聞の記事などをとりまとめて報告しています。
資料1:A06031092400
写真週報 329号
資料2:B02130626700
第四部 軍事関係(14画像〜19画像)