- 資料1は、昭和17年(1942年)2月15日付の『写真週報』209号です。この号ではシンガポール攻略戦を担った第25軍の司令官であった山下奉文のポートレートが表紙とされているほか、「シンガポール最後の日」と題された漫画が掲載されています(13画像目)。
- 資料2は、昭和17年(1942年)3月4日付の『写真週報』210号です。この号では、シンガポールの「エンパイアードックで万歳を絶叫する○○部隊兵士」の写真が表紙とされています(表紙の写真については12画像目に説明があります)。本文では見開き1ページ目に2月18日に昭和天皇をむかえ宮城前広場でおこなわれた戦捷第一次祝賀行事の様子が紹介されているほか、占領されたシンガポールの様子や降伏会議の様子を写した写真が掲載されています(3画像目~5画像目)。
- 資料3は、シンガポールのイギリス軍降伏の2日前にあたる昭和17年(1942年)2月13日に中国戦線の「登集団」(第13軍)参謀長より陸軍次官にあてて送られた電報です。ここではシンガポール陥落の際に実施する「宣伝効果ノ反響」やこの陥落が中国側軍官民に及ぼした影響を随時速報することが依頼されています。
- 資料4は、資料2にも見られる2月18日の戦捷第一次祝賀行事に関する通牒です。昭和17年(1942年)2月16日に内閣書記官長から各省庁に送られたこの通牒では、シンガポール陥落をうけて2月18日に戦捷第一次祝賀行事を行なうこととなったので、各省庁の職員を参加、参列させるよう配慮を願いたい旨が伝えられています。
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