昭和16年(1941年)12月8日、日本軍はマレー半島上陸、ハワイの真珠湾攻撃を開始しました。また同日中にはアメリカ、イギリスへの宣戦の詔書が発表され、太平洋戦争(「大東亜戦争」)の火蓋が切られました。

  • 資料1は、昭和16年(1941年)12月17日付の『写真週報』199号です。ここでは対アメリカ、イギリス開戦には触れられているものの、具体的な戦況は扱われていません。
  • 資料2は、昭和16年(1941年)12月24日付の『写真週報』200号です。ここでは真珠湾攻撃の様子を描いたイラストが掲載されています(3画像目)。
  • 資料3は、昭和17年(1942年)1月7日付の『写真週報』202号です。ここでは「海軍ハワイ空襲部隊」が撮影したとされる真珠湾攻撃に関する写真が紹介されています(2画像目〜5画像目)。
  • 資料4は、昭和17年(1942年)1月28日付の『写真週報』第205号です。ここでは「ハワイ海戦詳報第二報」として、「海軍ハワイ空襲部隊」が撮影したとされる真珠湾攻撃に出撃する航空隊の写真などが紹介されています(3画像目〜4画像目)。
  • 資料5、資料6は、真珠湾攻撃の10日後の12月18日、ルーズヴェルト米大統領がアメリカ合衆国連邦最高裁判所判事のオーウェン・J・ロバーツ(Owen Josephus Roberts)を中心に専門の委員会(いわゆる「ロバーツ委員会 Roberts Commission」)を発足させ、真珠湾攻撃についての事後調査と評価を行なわせた結果をまとめた報告書の日本語訳(2分冊)です。この訳文については、作成の日時や過程、また作成者についても不明ですが、駐ドイツ日本大使館の用箋に書かれていることがわかります。



    アメリカ、イギリスへの宣戦の詔書発表に関連する文書資料とその解説については、こちらをご覧下さい。

    * インターネット特別展 公文書に見る日米交渉 詳細年表 

      昭和16年(1941年)12月8日 アメリカ、イギリスに対する宣戦の詔書

      http://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/19411208c.html



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