昭和14年(1939年)6月14日、日本軍は天津のイギリス、フランス租界の武力封鎖にふみきりました。
昭和14年(1939年)4月9日、イギリス租界において新海関の中国人監督が暗殺されたことをきっかけに、犯人引渡しを求める日本軍とこれを拒むイギリス側との間で問題の扱いをめぐる対立がおこりました。イギリス側は6月13日解決策としてイギリス人1名、日本人1名、中立国人1名からなる特別審判を提案しましたが、日本の北支那方面軍当局はこれを拒否して6月14日早朝から天津のイギリス、フランス租界の封鎖を実施しました
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