昭和14年(1939年)5月12日、かねて満州国とモンゴル人民共和国の間で見解の対立があった両国の国境線付近のノモンハンにおいて、両国軍隊の軍事衝突が発生しました。この軍事衝突は、その後満州国軍側に日本軍が、モンゴル軍側にソ連軍が増援を行なう中で拡大してゆき、ノモンハン事件と呼ばれるようになります。

  • 資料1は、5月12日の国境での満州国軍とモンゴル軍との軍事衝突を関東軍参謀長が参謀本部次長・陸軍次官に知らせた際の電報です。
  • 資料2は、その後の事態の拡大の中でのノモンハン事件の報道統制に関する資料です。昭和14年(1939年)6月5日に陸軍次官から朝鮮軍参謀長・関東軍参謀長にあてられた電報(2画像目〜4画像目)では、ノモンハン事件発生以来、その報道については関東軍司令部が一元的に統制し、その検閲済みか司令部発表の情報以外の報道は禁止されていたことがみて取れます。
  • 資料3は、昭和14年(1939年)6月14日付の『週報』139号です。この中の陸軍報道発表である「ノモンハン事件」(12画像目〜13画像目)には、関連地図が見られます。
  • 資料4は、『写真週報』の中ではじめてノモンハンでの軍事衝突が報じられた昭和14年(1939年)7月12日付の『写真週報』73号です。




Japan Center for Asian Historical Records