昭和13年(1938年)10月27日、日本軍は武漢三鎮(漢口及び漢陽、武昌の3つの都市)を占領しました。

  • 資料1は、日本軍による漢口攻略を報じた昭和13年(1938)年11月2日付の『写真週報』38号です。
  • 資料2は、同じく漢口攻略を扱った昭和13年(1938)年11月2日付の『週報』107号です。武漢三鎮の位置関係は、この中に掲載されている陸軍情報部による「武漢三鎮遂に陥落す」という記事に見てとれます(31画像目)。
  • 資料3は、武漢占領を特集した昭和13年(1938)年11月9日付の『写真週報』39号です。ここでは武漢占領の報をうけ日本国内でおこなわれた様々な行事などが取り上げられています。
  • 資料4は、陸軍省と「伊集団」(中支那派遣軍)の間で交わされた「武漢政略報道に関する件」という資料です。この中では「武漢攻略」に関する現地軍の報道方針についての認可申請(4画像目〜6画像目)に対して、陸軍省がこれを了承するとともに、国内では大本営陸海軍部が統制発表し、その後に「国内における諸行事を発動せしむる」ことが定められていたことが述べられています。




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