昭和13年(1938年)1月16日、第一次近衛声明が発表されました。
 昭和12年(1937年)7月以来の日中戦争の中で、日本軍は、12月13日中国国民政府の首都である南京を占領しましたが、蒋介石率いる国民政府を屈服させることには失敗しました。また昭和12年(1937年)10月以来水面下で続けられていたトラウトマン駐中華民国ドイツ大使を仲介者とする和平工作も不調におわりました。こうした中で昭和13年(1938年)1月16日、政府は「爾後国民政府を対手とせず」との声明を発し、交渉による解決を打ち切る方針を示しました。

  • 資料1は、第一次近衛声明に題材をとった漫画が掲載されている昭和13年(1938年)2月16日付の『写真週報』創刊号です(5画像目)。
  • 資料2は、この声明の全文です。
  • 資料3は、第一次近衛声明発表の6日前の昭和13年(1938年)1月10日付で中支那方面軍司令官の松井石根から杉山元陸軍大臣に具申された意見です。昭和13年(1938年)1月7日付で中支那方面軍司令部により作成された「蒋政権ニ対スル帝国ノ採ルヘキ態度ニ就テ」というこの意見書では、「判決」として「帝国ハ速ニ蒋政権ノ支那中央政権タルコトヲ否認スベシ」と述べた上で、その理由として、「蒋政権ヲ交渉対手トシテ和ヲ講セント欲スル」こと(2画像目)、「蒋政権ヲ対手トスル講和ノ議」(3画像目)などの問題点が指摘されています。






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