明治から昭和戦前期の海軍軍人・政治家です。 日本海軍の育成に貢献し、明治37年(1904年)に海軍大将となります。 大正2年(1913年)に第一次山本内閣を組閣しますが、翌年シーメンス事件で退陣します。 大正12年(1923年)発足の第二次山本内閣の際には、関東大震災の復旧にあたりますが、虎ノ門事件によって再び短命政権に終わりました。 昭和8年(1933年)に没。 享年83歳。
 山本権兵衛に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「山本権兵衛」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「山本権兵衛」をキーワードにして検索すると、472件の資料が一覧表示されます。 また、旧字体である「山本權兵衛」と入力すると、1125件の資料が一覧表示されます。 表示される資料があまりにも多い場合は、「山本海軍大臣」などと入力したり、年代を特定することでさらに絞り込むことができます。

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出  来  事
嘉永5年
(1852年)
現鹿児島県に生まれる
明治3年
(1870年)
海軍兵学寮に入る
明治31年
(1898年)

海軍中将に就任
 山本は同時に第二次山県有朋内閣の海軍大臣にも就任しました。 以後、明治39年(1906年)まで3代にわたって内閣に留まってゆきます。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、55〜61頁)

表 題:海軍第三期拡張費ニ属スル甲鉄戦艦二隻ノ製造期限ニ関スル報告ノ件
レファレンスコード:A03023085000
 日露戦争開戦前から、山本は海軍の整備に力を尽くします。 これは、イギリス造船会社の軍艦二隻の建造に関する報告です。
(国立公文書館所蔵)

明治37年
(1904年)

2月、日露戦争勃発

表 題:大本営ヲ宮中ニ置カル
レファレンスコード:A01200935100
 陸海軍大臣より内閣総理大臣へ、大本営を宮中に設置したことを報告したものです。 当時、海軍大臣であった山本権兵衛の名があります。

表 題:艦艇緊急補充ノ件
レファレンスコード:A03023085100
 日露戦争直後の海軍の勝利を受けて、山本は内閣総理大臣桂太郎あてに海軍力のさらなる補充を要請します。 4画像目には、主力艦となる装甲巡洋艦2隻と当時の最新兵器の一つである潜航艇5隻を製造するよう記しています。
(国立公文書館所蔵)

大正2年
(1913年)
第一次山本内閣発足
大正3年
(1914年)
シーメンス事件(海軍の収賄事件)の責任をとり内閣総辞職
大正12年
(1923年)
第二次山本内閣発足
虎ノ門事件(皇太子襲撃事件)の責任をとり内閣総辞職
昭和8年
(1933年)
12月9日、没(83歳)