アメリカ合衆国第26代大統領。 マッキンレー大統領の暗殺に伴い1901年(明治34年)9月大統領に就任し、1904年(明治37年)に選挙で大勝して再任されました。 日露戦争に際しては、ロシアの満州進出を押さえる意味で日本に対し財政面をはじめさまざまなかたちで援助を行いましたが、日露の勢力均衡での和平を望み、日露講和条約の成立に力を貸します。 1919年(大正8年)に没。 享年61歳。
 セオドア・ルーズヴェルトに関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「ルーズヴェルト」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「ルーズヴェルト」をキーワードにして検索すると、108件の資料が一覧表示されます。 また、「ルーズベルト」「ローズヴェルト」「ローズベルト」「ルーズヴエルト」「Roosevelt」を同義語として検索すると、600件を越える資料が表示されます。 しかし、後の第32代大統領のフランクリン・ルーズヴェルトの資料が多いので、他のキーワードや年代等で絞る必要があります。

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出  来  事
1858年
(安政5年)
ニューヨークに生まれる
1897年
(明治30年)
海軍次官補に就任
 マッキンレー大統領のもとで、米西戦争の開戦など様々な局面において大きな役割を果たしました。
1901年
(明治34年)
マッキンレー大統領の暗殺によって、副大統領から大統領に就任
1904年
(明治37年)

大統領選挙に大勝し、再選

表 題:1904〔明治37〕年11月8日から〔明治38年7月21日〕(各国内政関係雑纂/米国 第三巻)
レファレンスコード:B03050809300
 ルーズヴェルトが再選されたアメリカ合衆国大統領選挙についての報告が含まれています。 4画像目では、議会における大統領一般教書に言及しており、日露戦争時のアメリカの対外政策の動向に注目している状況が窺えます。
(外務省外交史料館所蔵)

1905年
(明治38年)

ポーツマスにおいて日露講和会議開催
(『坂の上の雲』文庫版第7巻、202〜225頁)

表 題:第一章 旅順よりポーツマスへ(勃興日本と米国の與論)
レファレンスコード:B02130983600
 “Japan in American Public Opinion”(『勃興日本と米国の與論』)を、昭和14年(1939年)に外務省情報調査部が翻訳したものです。 日露戦争時のアメリカ世論やルーズヴェルトの対外政策について記されています。
(外務省外交史料館所蔵)

1908年
(明治41年)
太平洋における日米の現状維持を確認した高平・ルート協定が結ばれる
1909年
(明治42年)

大統領任期満了

表 題:米国大統領「ローズベルト」離任後東洋漫遊風説並ニ退職前帝国皇室ヨリノ御挨拶ニ関シ在米高平大使稟申一件
レファレンスコード:B03030311800
 駐アメリカ特命全権大使であった高平小五郎より、大統領を引退したルーズヴェルトを日本に招待しようという提案が出されました。 しかし、これは実現しませんでした。
(外務省外交史料館所蔵)

1919年
(大正8年)
1月6日、没(61歳)