明治期の陸軍軍人です。 日清戦争では歩兵第一旅団長として旅順を攻略します。 明治29年(1896年)には台湾総督となります。 日露戦争では第三軍司令官として旅順攻撃を指揮します。 日露戦争後、学習院院長となりますが、大正元年(1912年)の明治天皇の大喪の日に自ら命を絶ちました。 享年63歳。
 乃木希典に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

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   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
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出  来  事
嘉永2年
(1849年)
東京に生まれる
明治10年
(1877年)
西南戦争に従事
明治27年
(1894年)
日清戦争時には、歩兵第一旅団長として旅順攻略に従事
明治29年
(1896年)
台湾総督に就任
明治37年
(1904年)

6月、陸軍大将に就任

表 題:任陸軍大将 陸軍中将 男爵乃木希典
レファレンスコード:A03023368000
 乃木が大将に任命された際の内閣総理大臣の上奏書です。
(国立公文書館所蔵)

第三軍司令官に着任
 11月27日、乃木の率いる日本軍は二個師団を投入して二〇三高地への総攻撃を開始し、12月6日にはこれを占領しました。
(『坂の上の雲』文庫版第5巻、7〜143頁)

表 題:旅順203高地に建碑の件
レファレンスコード:C02031469900
 明治44年(1911年)12月21日、旅順戦跡保存会が二〇三高地の戦いを記念する碑を立てることを願い出ました。 この資料にはその建設計画書が含まれています。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治38年
(1905年)

1月2日、旅順陥落
(『坂の上の雲』文庫版第5巻、229〜321頁)

表 題:旅順陥落に際し敵国戦闘員非戦闘員等取扱方の件
レファレンスコード:C03020270400
 乃木第三軍司令官に宛てられた戦闘員・非戦闘員の取り扱いについての指示です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

2月末から3月10日にかけての奉天会戦での勝利により、日本軍は奉天を占領
(『坂の上の雲』文庫版第6巻、309〜346頁、第7巻、1〜225頁)

表 題:タイムスの日露戦争批評(百八十八)奉天の会戦(後論一)
レファレンスコード:A03023699700
 奉天会戦は、日露戦争における最大の陸戦でした。3月25日付の英国タイムズ紙はこの時の総攻撃の模様を詳細に報じています。

明治40年
(1907年)
学習院院長に就任
大正元年
(1912年)
没(63歳)
 明治天皇の大喪の日、乃木は自ら命を絶ちました。