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 ロシア帝国の陸軍軍人です。 17歳で入隊した後、中央アジアへの遠征や露土戦争(ロシアとトルコの戦争)に従軍し、陸軍大臣などの軍の要職に就きます。 日露戦争では、極東ロシア軍の総司令官として日本軍と戦い、第一次世界大戦にも従軍しますが、ロシア革命後は故郷にもどって晩年をすごしました。 1925年(大正15年)没。 享年77歳。
 クロパトキンに関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「クロパトキン」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「クロパトキン」をキーワードにして検索すると、41件の資料が一覧として表示されます。 また「クロポトキン」「クローバットキン」などをキーワードとして入力したり、年代を特定して検索していただくと、別の資料を閲覧できます。

解説文や年表の中の下線の付された文字は、
細字は関連する資料に、
太字は用語集に、
それぞれリンクしています。

出  来  事
1848年
(嘉永元年)
ロシアのプスコフ県に生まれる
1864年
(元治元年)
パブロフスク士官学校に入校
1871年
(明治4年)
陸軍大学校に入校
1876年
(明治9年)
スコボレフ将軍の参謀としてトルキスタン遠征に従軍
1883年
(明治16年)
ロシア陸軍参謀本部の戦略問題担当部長に就任
1898年
(明治31年)
陸軍大臣に就任
1900年
(明治33年)
大将に昇進
1903年
(明治36年)

日本を訪問
 クロパトキンはこの年の6月に訪日し、日本側のさまざまな歓待を受けて帰国しました。しかしこの時期、日本とロシアは非常な緊張関係にありました。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、91頁)

表 題:露国陸軍大臣 寺内大臣へ挨拶状の件
レファレンスコード:C03022787500
 クロパトキンが来日直前、当時陸軍大臣だった寺内正毅に送った書翰(フランス語)とその訳文です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

1904年
(明治37年)

満州軍総司令官に就任
 日露戦争が勃発すると、満州における全ロシア軍の指揮がクロパトキン大将に委ねられます。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、184〜191頁)

表 題:タイムスの日露戦争批評(十二)クロパトキンの任命
レファレンスコード:A03023682100
 イギリスのタイムズ紙が掲載した日露戦争関連の記事を邦訳したものです。 クロパトキンがロシア満州軍の総司令官に任命されたことについて、論評している記事があります。
(国立公文書館所蔵)

1905年
(明治38年)

満州軍第一軍司令官に降格
 数々の戦いに破れたロシアは、クロパトキンを降格してリネウィッチ大将を極東ロシア軍の新司令官に任命しました。 しかし、この年の9月、日露講和条約の調印によって戦争は終結します。
(『坂の上の雲』文庫版第7巻、169頁)

表 題:タイムスの日露戦争批評(百八十四)クロパトキンの召還
レファレンスコード:A03023699300
 イギリスのタイムズ紙が掲載した日露戦争関連の記事を邦訳したものです。 クロパトキンの更迭と後任のリネウィッチをめぐる、ロシア軍内の事情について批評しています。
(国立公文書館所蔵)

1906年
(明治39年)
退 役
1915年
(大正4年)
軍務に復帰して、第一次世界大戦に従軍
1917年
(大正6年)
再度の退役
1925年
(大正15年)
没(77歳)