公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
ホーム 日米交渉とは ダイジェスト 詳細年表 主要人物 用語解説 参考資料室 アンケート
用語解説
人物(元首/閣僚)
人物(外務)
人物(軍部)
人物(外国)
国名・地名
組織・制度
その他
国名・地名
汪兆銘政権(おうちょうめい せいけん)
  1940年3月30日、日本政府の協力のもと、汪兆銘を主席として南京に成立した政権です。
重慶国民政府(じゅうけい こくみんせいふ)
  1938年8月、日中戦争の激化に伴って、重慶に移転した蒋介石の率いる国民政府のことです。
真珠湾(しんじゅわん)
  アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島南岸にある湾です。日米開戦当時、アメリカ太平洋艦隊の主力艦が在泊していました。
仏領インドシナ(ふつりょう いんどしな)
  19世紀後半から20世紀前半にかけてのインドシナ半島におけるフランスの植民地です。フランスは、ヴェトナム、ラオス、カンボジアの3国に対して植民地化を進め、1887年インドシナ連邦を設立しました。戦前の日本では「仏印」と呼ばれました。仏領インドシナは、5直轄植民地(コーチシナ直轄植民地、ハノイ、ハイフォン、ダナンの3直轄都市、シャムから奪取したバッタンバン、シエムリアップ、シソポンの3州)、3保護国(アンナン、カンボジア、ラオス)、1保護領(トンキン)、1租借地(広州湾)で構成されていました。なお、トンキン保護領の紅河以北を北部仏領インドシナ、以南を南部仏領インドシナと呼ぶこともあります。
蘭領東インド(らんりょう ひがしいんど)
  18世紀から1942年にかけてオランダが領有した東南アジアの植民地で、石油やスズなどの天然資源の産出地です。「蘭印」と記述される場合もありました。現在のインドネシア共和国のほぼ全域にあたります。1602年にオランダは東インド会社を設立し、インドネシア海域の制海権を握りましたが、ジャワ島全域を直接支配下に置いたのは、1755年に当地のマタラム王国を分割して以降のことでした。オランダ政府による植民地直営体制は、1899年の東インド会社倒産を経た19世紀以降に確立されました。
All Rights Reserved,Copyright Japan Center for Asian Historical Records 2005.