日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月16日
来栖三郎特命大使、ワシントンに到着


ルーズヴェルト米大統領との会談を終えた野村大使(左)来栖大使(右)(昭和16年(1941年)11月27日撮影)
(毎日新聞社提供)
 昭和16年(1941年)11月16日(日)3:30より(米時間 15日 13:30より)、来栖三郎特命大使がワシントンに到着し、日米交渉現場に加わります。野村吉三郎駐アメリカ大使は、交渉の難局にあって、以前から協力者を求めていました。これに対し、かつてアメリカにおいて野村と同僚であった経験を持つベテラン外交官の来栖が派遣されました。これは、「甲案」「乙案」決定を経て交渉の最終段階に臨もうという日本政府の姿勢の表れであったとも言えます。
資料1:B02030722200 10 昭和16年11月13日から昭和16年11月15日(16画像〜17画像)
「昭和16年11月15日東郷大臣発野村大使宛公電第七八一号(館長符号)」
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 昭和16年(1941年)11月15日13時30分(米時間)、来栖三郎特命大使がワシントンに到着しました。
 資料1は、東郷外務大臣から野村駐アメリカ大使を介して来栖大使に宛てられた電報の全文です。ここでは、来栖大使の飛行機での長距離移動を慰労する言葉が述べられると同時に、野村大使と協力して日米交渉を急速に妥結の方向へ導くよう切望する旨が述べられています。
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