日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)10月12日
近衛内閣総理大臣、豊田外務大臣・東条陸軍大臣・及川海軍大臣・鈴木企画院総裁と戦争の是非について会談、陸軍は中国からの撤兵に反対


「十月十二日五相会議」(1ページ)
(外務省外交史料館提供)
 昭和16年(1941年)10月12日(日)、近衛文麿内閣総理大臣は、豊田貞次郎外務大臣、東条英機陸軍大臣、及川古志郎海軍大臣、鈴木貞一企画院総裁を私邸に集め、おもにアメリカ・イギリスと戦争をすべきか否かについての話し合いを持ちます。このとき、近衛や豊田が中国からの撤兵を含め諸々の問題の解決の可能性を指摘したのに対し、東条は強い反対姿勢を示しました。
資料1:十月十二日五相会議(近衛、豊田、東条、及川、鈴木)(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)66〜75画像)
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資料2:昭和16年10月12日(『機密戦争日誌 其三』166画像〜167画像)
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 昭和16年(1941年)10月12日、近衛文麿内閣総理大臣は、豊田貞次郎外務大臣、東条英機陸軍大臣、及川古志郎海軍大臣、鈴木貞一企画院総裁を東京荻窪の私邸に招き、日米交渉の成否及び開戦決意をめぐる会談を行ないました。
 資料1は、会談における東条大臣の発言を中心とした記録です。まず、豊田大臣が「日米交渉妥結ノ余地アリ」と述べ、駐兵問題への対処によっては交渉は成立するであろうとの見解を示しています。また、近衛大臣も、日本側の提案に揺らぎがあるためにアメリカの誤解を招いているのではないかと指摘し、この点に対処することで交渉は成立し得るとしています。また、及川大臣は明確な意見は述べず、近衛大臣の決断に委ねるとの姿勢を示しています。これに対して、東条大臣は「妥結ノ見込ナシト思フ」と述べ、アメリカに譲歩の姿勢が見えない以上は交渉は成立しないであろうと指摘しています。以降、東条は、10月上旬(9月6日の第6回御前会議で、10月上旬までに交渉が成立しない場合には開戦を決意する、と決定されています)を迎えて軍が既に準備を始めつつあることを述べつつ、交渉成立(戦争準備打ち切り)を決するならば確実な根拠が政府と統帥部(陸海軍の指導部)との間で共有されることが不可欠であることを強く主張しています。ここで東条が見せている姿勢は、9月6日の第6回御前会議における決定にあくまで従うというものです。
 資料2の『機密戦争日誌』でも、この会談について大きく触れられています。会談でのやり取りについては、上記の「杉山メモ」の記録とほぼ同様の説明がなされ、交渉成立の可能性を論じる近衛・豊田の2大臣と、これに反論しながら、御前会議決定に従う方針を主張する東条大臣との、姿勢の違いが明確にされています。こうした状況についてここでは、明確に意志を述べない及川大臣に対しては「全然責任回避」、「戦争ヲヤルト云フナラバ自信アル方ガヤリナサイ」と述べた近衛大臣に対しては「無責任ナル言語道断」、と厳しい批判が述べられています。
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