昭和16年(1941年)8月29日
(米時間 28日 11:00〜)野村大使・ルーズヴェルト米大統領第5回会談、野村は近衛メッセージを手交 |
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資料1:B02030717100 12 昭和16年8月28日から昭和16年8月29日(1)(1画像左〜3画像)
「昭和16年8月28日野村大使発豊田貞次郎外務大臣宛公電第七五二号(大至急、極秘、館長符号)」
「(11)八月十四日英米共同宣言」 |
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資料2:B02030717400 15 昭和16年8月26日(2画像左〜4画像)
「昭和16年8月26日豊田大臣発野村大使宛公電第五〇二号(大至急、館長符号)」 |
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資料3:B02030717400 15 昭和16年8月26日(5画像〜10画像)
「昭和16年8月26日豊田大臣発在米野村大使宛公電第五〇三号(大至急、館長符号)(原議)」 |
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資料4:B02030742300 1 同盟電報 1(2画像〜6画像)
「外信未発表 野村ルーズヴェルト会見詳報(極秘)」 |
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昭和16年(1941年)8月29日、野村駐アメリカ大使は、前日のハル米国務長官への「近衛メッセージ」の写しの手交に続き、ルーズヴェルト米大統領との会談において同文書の全文を改めて手交しました。なお、この会談にはハル国務長官も同席していました。
資料1は、8月28日(米時間)発の野村大使発豊田外務大臣宛の電報の写しで、この日の午前11時から行われたルーズヴェルト大統領との会談について報告されています。ここで野村は、ルーズヴェルト大統領の反応が良く、近衛内閣総理大臣との会談について前向きな姿勢が見られたことを伝えています。
このいわゆる「近衛メッセージ」の本文については、資料2が、8月26日に豊田外務大臣から野村大使に電報で送られた草案と見られ、資料3が、同日改めて送られた、草案に大幅な訂正を施した全文となっています。このメッセージにおいて、近衛は日米関係悪化の要因を指摘し、関係改善のためには両国首脳が直接会談を行なうことが必要であるとしてこれを強く提案しています。
資料4は、29日の会談(野村大使・ルーズヴェルト大統領・ハル国務長官)が終了したときの野村・ハル両者の様子を伝えた同盟通信社の未発表電報(日本では発表されなかったもの)です。この電報の内容は、以下の通りとなっています。
(以下は翻刻)
外信未発表 野村ルーズヴェルト会見詳報(極秘)
ワシントン二十八日 加藤同盟特派員発
野村大使、ルーズヴェルト大統領、及びハル国務長官の会談は各方面に異常なセンセーションを惹起している。三者の公式会談が公表されたのは今回が初めてのことで野村大使も会見後記者団に近衛首相からのメッセージを手交した旨を語りハル長官もこの種会見が今後とも続けて行はれ「懇談的に」(インティメイト・パーソナル・ウェイという言葉を使用した)行ふ旨を言明するに及び本日の会談が単にウラジオストック行米油槽船の問題のみならず日米間の国交調整に関連する各種問題を包含していると見るのは常識である。且つ会談の時間が四十五分余に及んだ事実も注目されまた本日会談につきハル長官が興味のある問題だったといつになく率直にこれが会談の空気を仄かすに及んで「両国国交調整を文書に現はす協定に行くのか」と迄質問するものさへあり今次の会談に益々関心が払われている。
本日の会談の新しい事実は日米国交調整の折衝が明るみに出たことで一面之に対する防(ママ)害的企図もあらうが他面日米両国は所謂小手先の技術を捨てて総て公明に両国関係を大局から考へるべきだとの決意を米大衆に植えつけることにもなる訳だ。
野村大使は二十八日まで数回ルーズヴェルト大統領と会談最近も会っているがそんな事実は公やけには知られず表向きに会ったのは最近初めてである。
なほ二十八日の会見に対しドイツ筋では相当神経質になっている。 |
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