日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)8月28日
野村大使・ハル米国務長官会談、野村は「近衛メッセージ」の写しを手交


「〔昭和16年8月27日〕野村大使発豊田貞次郎外務大臣宛公電〔第七四八号〕〔対米回答ノ件〕」(1ページ)
(外務省外交史料館提供)
 昭和16年(1941年)8月28日(木)1:00より(米時間 27日 12:00より)、野村吉三郎駐アメリカ大使はハル米国務長官と会談します。近衛文麿内閣総理大臣はルーズヴェルト米大統領に対し、日米首脳会談の重要性を強調しこれを申し入れるべく「近衛メッセージ」を用意しており、野村はこれをルーズヴェルトに手交する任を負います。これに先がけ、この会談ではメッセージの写しがハルに手渡されました。
資料1:B02030717500 16 昭和16年8月26日から昭和16年8月28日(3画像〜4画像右)
「〔昭和16年8月27日〕野村大使発豊田貞次郎外務大臣宛公電〔第七四八号〕〔対米回答ノ件〕(極秘、館長符号)」
画像資料画像資料
 昭和16年(1941年)8月28日に行なわれたハル米国務長官との会談において、野村駐アメリカ大使はいわゆる「近衛メッセージ」の写しをハルに手交しました。
 資料1は、この出来事を報告する野村大使発豊田外務大臣宛の電報の写しです。ここでは、「近衛メッセージ」手交の重要性を主張してルーズヴェルト米大統領に直接会見を申し入れたが、大統領の都合が付かなかったので、翌朝に返答を受け取ることになったと述べられています。なお、「近衛メッセージ」とは、近衛内閣総理大臣がルーズヴェルト大統領に対し、日米関係悪化の要因を指摘し、関係改善のためには両国首脳が直接会談を行なうことが必要であるとしてこれを強く提案した文書です。これが大統領に正式に手交されるのは翌日の8月29日のことです。
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