日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)7月16日
第二次近衛文麿内閣総辞職(翌日、第三次近衛内閣発足、外務大臣に豊田貞次郎)


「機密戦争日誌 昭和16年7月17日」(1ページ)
(防衛庁防衛研究所提供)
 昭和16年(1941年)7月16日(水)、第二次近衛文麿内閣は総辞職します。この翌日には第三次近衛内閣が発足しますが、新内閣の成立の中心的な意義は、日米交渉において強硬な姿勢を示していた松岡洋右外務大臣が更迭され、後任に豊田貞次郎が就いたことでした。
資料1:A03023525600 任外務大臣兼拓務大臣 商工大臣海軍大将 豊田貞次郎
画像資料
資料2:「七月十七日」(『機密戦争日誌 其の三』89画像〜90画像)
画像資料
 昭和16年(1941年)7月16日、第二次近衛内閣は総辞職し、翌日、第三次近衛内閣が発足しました。
 資料1は、各大臣の任命状各大臣の任命状です。
 資料2では、今回の内閣更迭の理由を「実ハ松岡外相ノ追出ニアルカ如シ」と推測する記述が見られます。
このページを閉じる