日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月22日
ドイツ・ソ連戦開始


「在京独大使覚書仮訳」(1ページ)
(外務省外交史料館提供)
 昭和16年(1941年)6月22日(日)、ドイツはソ連に対する侵攻を開始します。同盟国であるドイツが、不可侵条約を破ってソ連を攻撃したことは、日ソ中立条約を結んでいる日本にとってその立場を複雑なものとする出来事でした。
資料1:B02032409600 1.独蘇開戦関係 ソ連邦ニ対スルドイツ外務省覚書ヲ含ム/1 昭和16年5月9日から昭和16年6月22日(20画像〜23画像)
「在京独大使覚書仮訳」
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資料2:B02032409600 1.独蘇開戦関係 ソ連邦ニ対スルドイツ外務省覚書ヲ含ム/1 昭和16年5月9日から昭和16年6月22日(24画像〜29画像)
「六月二十二日独逸外相ノ蘇連邦大使宛通告要旨仮訳」
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資料3:B02030517300 1.支那事変処理ニ関スル外務省案/42)独ソ開戦の場合に於ける国際情勢の判断及対策(A.7.0.0.8-37に移す)(5画像〜7画像)
「独蘇開戦ノ場合ニ於ケル国際情勢ノ判断及対策(昭一六、六、二三)
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 1941年6月22日、ドイツは独ソ不可侵条約(1939年8月締結)を破り、ソ連に対する侵攻を開始しました。
 資料1は、ドイツ軍の侵攻当日にオットー駐日ドイツ大使が松岡外務大臣に対して口頭で行なった事情説明について、オットー大使自身が要旨を外務省に改めて通告してきたものを訳したものです(外務省欧亜局第2課作成)。
 資料2は、侵攻に際してリッベントロップ独外務大臣がソ連の大使に行なった通告の要旨を訳したものです(外務省欧亜局第2課作成)。
 資料3は、開戦の翌日の日付の入った、外務省による状況分析を示した文書です。ここでは、ドイツとソ連の開戦によって、イギリス・アメリカ・ソ連・重慶国民政府の連携が実現するであろうこと、ただし戦争状態に入ったソ連による援助が減少することで重慶国民政府が日本に対し和平を考え出す可能性があること、イギリス・アメリカがソ連とともに日本にも歩み寄り三国同盟からの離脱を求めてくるであろうこと、そして、アメリカがイギリスへの援助を強めることによって参戦へと向かうであろうこと、その一方でドイツとイギリスとの接近に協力するようになる可能性もあるということが指摘されています。
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