日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)6月22日
野村大使・ハル米国務長官会談、ハルは、オーラル・ステートメントを手交、また、5月31日案(日本時間6月1日手交)のアメリカ政府訂正案を提示


「昭和16年6月23日野村大使発松岡外務大臣宛公電第四二四号」(1ページ)
(外務省外交史料館提供)
 昭和16年(1941年)6月22日(日)1:00より(米時間 21日 12:00より)、野村吉三郎駐アメリカ大使はハル米国務長官と会談します。「日米諒解案」を起点として日米両国は双方からその内容の修正を提案してきましたが、この日、ハルは5月31日に日本より出された案に対するアメリカ政府修正案を提示しました。この内容を知った松岡洋右外務大臣は強く反発し、交渉が揺らぐことになります。
資料1:B02030715300 11 昭和16年5月20日から昭和16年6月23日(54画像〜58画像)
「昭和十六年六月二十三日野村大使発松岡外務大臣宛公電第四二四号(極秘、館長符号)」
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資料2:B02030715300 11 昭和16年5月20日から昭和16年6月23日(62画像〜73画像)
「〔5月31日案のアメリカ側訂正案(英文)〕」
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資料3:B02030715300 11 昭和16年5月20日から昭和16年6月23日(59画像〜61画像)
「昭和十六年六月二十三日野村大使発松岡外務大臣宛公電四二五号(外機密、館長符号扱)(写)」
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資料4:B02030715400 12 昭和16年5月12日から昭和16年7月10日(28画像〜32画像)
「米側対案(六月二十二日在米大使取次)(厳秘)(非公式ニシテ拘束力ナシ)」
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資料5:B02030715400 12 昭和16年5月12日から昭和16年7月10日(33画像〜39画像)
「「オーラル、ステートメント」一九四一年六月二十一日、別紙甲号(国務長官ヨリ日本国大使宛、日本国大使ヨリ国務長官宛)、別紙乙号」
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資料6:B02030715400 12 昭和16年5月12日から昭和16年7月10日(20画像〜27画像)
「日本案ニ関スル米側ノ主ナル修正」
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 昭和16年(1941年)6月22日、ハル国務長官は、野村大使に対し、これまでの話し合いを通じて主張してきたアメリカ側の立場をまとめた文書を手交しました。それは本文と「オーラル・ステートメント」、それに交換公文案を含む四つの付属文書からなり、アメリカ側回答として形を整えたものでした。しかし、本文には依然として“Unofficial, Exploratory and without Commitment(非公式、予備的段階にして拘束力なし)”のただし書きをつけ、まだアメリカ政府の公式回答とは呼べないものであるとしていました。
 資料1は、会談時の状況と野村大使の判断を本国に伝えた電報で、「日米ノ主張ニハ懸隔アルモ折衝ノ余地ナキニアラサル」、「本使トシテハ今直ニ交渉ヲ打切ラサル方有利ト思考スル」としています。
 資料2はアメリカ側提案の本文(英文。資料4がその日本語訳)で、資料3はその訂正部分を伝えたものです。
 資料5、6は何らかの会議の際に説明用に準備された文書で、会談の際に手交された「オーラル・ステートメント」と交換公文案が含まれています。
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