日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)3月12日
松岡外務大臣、ソ連経由でドイツ、イタリア訪問


日ソ中立条約調印(中央で調印するのが松岡外務大臣、その背後に立つのがスターリン)(昭和16年(1941年)4月25日付)
(経葉社提供)
 昭和16年(1941年)3月12日(水)より、松岡洋右外務大臣が、ソ連を経由して、ドイツとイタリアを訪問します。当初の日独伊三国同盟にソ連を加えるという意図はかないませんでしたが、ソ連との中立条約締結を果たします。
資料1:B04013489500 日独伊同盟条約関係一件 第一巻 分割1(13画像〜20画像)
「日独伊提携強化ニ関スル陸海外協議議事録(昭十五、七、十二)」
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     B04013489500 日独伊同盟条約関係一件 第一巻 分割1(26画像左〜34画像)
昭和十五年七月十六日於外務省 日独伊提携強化ニ関スル陸海外協議議事録(其ノ二)」
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資料2:B04013489600 日独伊同盟条約関係一件 第一巻 分割2(72画像〜95画像)
「昭和十五年九月二十六日 三国条約枢密院審査委員会摘録 軍務局長(極秘)」
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資料3:B04013490200 日独伊同盟条約関係一件 第二巻 分割1(56画像〜68画像)
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資料4:B02030714300 1 昭和16年2月15日から昭和16年3月15日(8画像右)
「昭和16年2月25日野村大使発松岡外務大臣宛公電第一一三号(外機密、館長符号)」
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 昭和15年(1940年)7月20日、第二次近衛内閣の外務大臣に就任した松岡洋右はドイツ・イタリアとの連携強化を目指し、昭和15年(1940年)9月9日から同盟交渉を開始、自動参戦義務(いずれかの国が戦争を開始した時には他の同盟国も参戦するという義務)の問題を焦点に、渋る海軍を説得する一方、ドイツ側の譲歩を求めて折衝を重ね、9月27日に日独伊三国同盟の調印を行ないました。次いで、この3国にソ連を加えた「四国協商」の成立を目指し、昭和16年(1941年)3月12日、ドイツ・ソ連訪問の途につきました。
 資料1は、三国同盟条約交渉に関する外務省主催の陸軍、海軍、外務省各局長クラスの会議録で、外務省側が陸海軍に対して方針説明を行なっています。
 資料2は、三国同盟条約を枢密院で審査した際の会議録で、ドイツとの同盟締結がアメリカとの関係に悪影響を及ぼさないか、などの質問が松岡大臣に対してなされています。
 資料3は、三国同盟条約締結を決定した昭和15年(1940年)9月19日の御前会議の記録で、松岡大臣が自身の対外政策を説明しています。
 資料4は、野村駐アメリカ大使が、松岡大臣のドイツ・ソ連訪問出発にあたって、当時の状況から考えて松岡大臣の訪欧は不利になるとして、中止を進言した電報です。
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