日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)12月6日
東郷外務大臣、野村・来栖両大使に対し、「対米覚書」を発電
資料1:B02030723900 7 昭和16年12月6日から昭和16年12月7日(1画像〜2画像右)
「昭和十六年十二月七日東郷大臣発在米野村大使宛公電第九〇二号(別電、館長符号)(原議)」
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資料2:B02030723900 7 昭和16年12月6日から昭和16年12月7日(22画像〜25画像)
「MEMORANDUM」
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資料3:B02030723800 6 昭和16年12月3日から昭和16年12月6日(21画像)
「昭和十六年十二月六日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号(写)」
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資料4:B02030723900 7 昭和16年12月6日から昭和16年12月7日(2画像左〜9画像)
「対米覚書」
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 昭和16年(1941年)12月6日、東郷大臣は、野村・来栖両大使に対し「対米覚書」を発電しました。
 この電報は長文のため14部に分けて発電されました。それぞれの本省側の発電番号が、資料1の欄外に記録されています。
 資料2は発電された「対米覚書」の本文であるとされるもので、逆綴になっています。
 英文が本文であることは、資料3に「対米覚書(英文)ヲ決定セリ」とあることからもわかります。
 資料4は、「対米覚書」の日本語全文です。ここには、アメリカ政府の意図はイギリスその他の国と協力して日本の新秩序建設の努力を妨害するものであり、日本・アメリカの国交を調整する日本政府の希望は失われたと記されています。覚書の末尾には、「帝国政府は茲に合衆国政府の態度に鑑み今後交渉を継続するも妥結に達するを得すと認むるの外なき旨を合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり」とあります。
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