日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)12月4日
第75回大本営政府連絡会議(議題:対米最後通牒に関する文案、開戦に伴い満州国にとらしむべき措置決定、オランダの取り扱い決定)
資料1:「十二月四日(木)自午後二時 至午後四時 第七十五回連絡会議」(『大本営政府連絡会議議事録 其の二』(杉山メモ)226画像左~227画像)
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資料2:「昭和16年12月4日」(『機密戦争日誌 其の三』225画像)
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 昭和16年(1941年)12月4日、第75回大本営政府連絡会議が開催されました。この会議においては、アメリカに対する最後通牒の内容と駐米大使館へ打電する時間が審議され、内容は東郷外務大臣に一任、打電と手交の時間は統帥部の要求によって決定されることになりました。
 資料1は、その議事内容を記録したもので、該当する箇所は以下の通りです。なお、原文の仮名遣いを現代仮名遣いに直しました。

三、「対米最後通牒」に関し
外相 米本国に送る外交最後の文書として「米の態度、之に対する日本の対応並宣戦の内容を敷衍して述べ見切をつけて外交を打切る」趣旨を以てしたい
○ 「右に対し最後的なものとせず、若干余裕ある様にやれ」
永野「其の暇はない」
外相「もう一度言うだけ其の後更に言うだけ余裕はない 外交打切として此案文を練り明五日午後発電、六日翻訳となれば手交するに丁度よい日となる」
○ 「案文は原案の趣旨で外相に一任するが、先方に渡す時期は過早なれば彼に準備をやらせることとなり、又遅きに過ぎれば手交する意味が薄らぐ、然し今となっては戦勝が第一だから渡す日時は統帥部の要求に合致させなければならぬ」
右の如くして文章は外相に一任、打電並に手交する日時は統帥部と外相と相談して決定することとなれり

 ここで、「○」となっている箇所は原文のままです。発言者の名が記されていません。
 また、資料2は、この会議の内容を大本営陸軍部戦争指導班が記録したもので、最後通牒に関する部分は次のように書かれています。これによれば、東郷外務大臣が「対米最後通牒提出」を提案したが、海軍軍令部と参謀本部は不同意だったとあります。また、外務大臣は「戦争終末捕捉」のために外交打ち切りを正式に表明する必要があることを強調し、軍令部総長(永野修身)と参謀総長(杉山元)はやむなく外務大臣の提案を受け入れ、「武力発動」の直前に外交打ち切りの申し入れをすることに決定したと書かれています。最後に、最後通牒の案文は外務大臣に一任すること、打電の時期は陸海軍部局長が決定することに決まったとあります。
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