日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)12月3日
東郷外務大臣、野村・来栖両大使に対し、日本側最終案の徹底を訓令
資料1:B02030723600 4 昭和16年12月1日(59画像右〜62画像)
「昭和16年12月3日東郷大臣発在米野村大使宛公電第八七八号(大至急、館長符号、Very Urgent)(原議)」
画像資料
 昭和16年(1941年)12月3日、東郷外務大臣は、野村・来栖両大使に対して、日本側最終案(「乙案」)の徹底を訓令しました。
 資料1は、その訓令電報です。このなかで東郷は、アメリカ側の態度に対して反論をしています。まず、アメリカ側は日本の要人の発言と世論が交渉の障害となっているとしているが、アメリカの報道も交渉の詳細を伝えており、これは交渉の内容に精通した者から情報が流れていると考えざるを得ず、日本側にのみ責任を押しつけるのは不当である、としています。さらに、日本の南方への兵力の移動についてもアメリカ側は指摘しているが、アメリカ・イギリスも対日軍備を増強し、日本側を刺激する態度に出ており、米英側にも抑制を求めざるを得ない、とも述べています。また最後に、「乙案」がアメリカ側の原則的立場と矛盾するという指摘についても、日本側はルーズヴェルト米大統領の仲介により日中和平交渉を開始した場合には、アメリカの援蒋行為中止を求めるとしているものであって、なんら矛盾は無いと考えている、と表明しています。
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