日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)12月2日
野村・来栖両大使、ハル米国務長官と会談
資料1:B02030723600 4 昭和16年12月1日(1画像左〜7画像)
「昭和16年12月1日野村大使発東郷大臣宛公電第一一二五号ノ壱及貮(極秘、館長符号)」
「昭和16年12月1日野村大使発東郷大臣宛公電第一一二五号ノ三(極秘、館長符号)」
画像資料
 昭和16年(1941年)12月2日(米時間 1日 10:15〜)、野村・来栖両大使はハル米国務長官と会談しました。
 資料1は、この会議の内容を本国へ通報した電報です。この会談で、ハルは「東条総理大臣演説」について触れ、ルーズヴェルト米大統領が急遽ワシントンへ戻ったのも、これらのことが理由である、と述べました。また、野村大使らとの会談開始以来、日本側要人から局面打開を容易にする発言がなにも聞こえてこないことは遺憾であるとし、日本側も野村大使らの努力に声援を与えるよう希望する、と表明しました。さらに、仏領インドシナへの日本軍の増兵についても触れ、アメリカ政府も兵力移動や兵器陸揚げの情報に接しており、タイはもちろん、南西太平洋の他の地域にも危険を感じるので、アメリカ側としてもこれに対応しなくてはならない、とも述べました。そして、日米戦争は建設的ではなく、破壊的なものであることは十分に認識しているが、ルーズヴェルトもハルも非常に困難な立場にあるため、日本の情勢とアメリカの世論に鑑みて「ハル・ノート」のような提案をせざるを得なかった、と説明しました。最後にハルは、このような状況下であるので、日本側から先に言論改善などにより、局面打開の方策をとるよう、求めました。
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