日米交渉 資料解説
昭和16年(1941年)11月26日
野村・来栖両大使、本国に対し、状況打開のため昭和天皇とルーズヴェルト米大統領との親電交換について意見具申
資料1:B02030734900 12 十一月二十六日野村・栗栖両大使意見具申(2画像)
「昭和16年11月26日東郷大臣発在米野村大使宛公電第八三三号(至急、館長符号)(原議)」 
画像資料
 昭和16年(1941年)11月26日、野村、来栖両大使は、「乙案」を完全にアメリカ側に受諾させることは困難であるとし、この状況を打開するために、ルーズヴェルト米大統領と昭和天皇の間で親電を交換することを本国へ意見具申しました。
 資料1はその際の電報です。ここでは、まずルーズヴェルト大統領より「太平洋ノ平和維持ヲ目的トスル日米両国協力」を希望する旨を打電させ、これに昭和天皇が答えるかたちで親電を返すことで「空気ヲ一新」し、時間を稼ぎ、その間に米英が蘭領東インドを保護占領する可能性を考慮して先手を打ち、仏領インドシナ、蘭領東インド、タイを含む中立圏を設立することを提案しています。また、現在の日米交渉が決裂すれば、直接戦争にいたらないまでも、米英による蘭領東インド保護進駐の可能性もあり、「結局我方ノ攻撃ニ依ル対米英戦不可避」であり、これに対しドイツが日独伊三国同盟の第三条にある参戦義務により対米戦に参戦するかどうかも疑問であり、また「支那事変」の解決も現在の世界大戦終結まで持ち越す可能性がある、との考えも伝えています。そして、最後に、「本電ハ本使トシテ最後ノ意見具申」であるので、少なくとも木戸幸一内大臣には示した上、至急、折り返し電報して欲しい、と「切望」しています。
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